ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第997話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野(その4)

この日、仏生山では1035が解体中でした。1080形の増備により1991年に廃車になったものですが、3年間本線脇の側線に留置されていた車両でした。

 

1.67 (仏生山:1994年8月)

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解体中の1035の横には67がいました。地面には解体した車体の残骸が転がっています。まさか67も解体?・・・ではなく、どうやら検査入場の様です。本来なら1035よりも先に廃車解体されてもおかしくない67ですが、この車両が所属する長尾線では、こんな古い車両も廃車にできない事情がありました。

 

2.62 (仏生山:1994年8月)

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そして、62も検査入場車でした。ちょうど出場目前なのでしょうか、なぜか長尾行きの行き先表示が出ていました。

 

3.325+100 (花園~瓦町:1994年8月)

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ここは、瓦町付近の長尾線横にある留置線です。日中走らない車両の昼寝場所です。以前は志度線の瓦町~今橋間に留置場がありましたが、志度線が分断されたので、ここが新たな留置場となりました。この日は325+100が昼寝中でしたが、さすがにこの猛暑では大人しく昼寝も出来ず、窓もドアも開けっ放しです。誰かが監視をしているはずもなく、なんとも無防備な留置ですが、まだ信用できる世の中だったからなのでしょう。ちょうど昼過ぎだったので暑さもピークです。おそらく車内の温度は40℃を超えているはずです。

 

4.230+345 (今橋~瓦町:1994年8月)

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ちょっとだけ志度線の方も見に行きました。久々に230の元気な姿を見ることができました。この230は元々67と同じ形態の元宮城電鉄を前身とする買収国電です。琴電にて車体更新を受けましたが、67とは更新時期がズレたため、外観は全く違うバス窓電車になりました。230は制御車で、67は電動車ですが、志度線分断により、両車は離ればなれになってしまいました。もうこの2両がコンビを組むことはありませんでした。

 

5.130+300 (平木~白山:1994年8月)

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暑さに身の危険を感じ、昼時でもあったので、一旦、高松築港に向かい毎度の讃岐ラーメンを食べて一服です。午後は長尾線の白山へ移動しました。

 

6.26+25 (平木~白山:1994年8月)

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一服したものの、気温はどんどん上昇し、体温を超える38℃くらいまで上がりました。暑さでカメラが心配でしたが、ちゃんと撮れています。さすがにCanonです。しかし、この電車では綺麗に撮れてもうれしくありません。