ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第893話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その3)

ここからは2週間後の高松です。なぜそんなにも高松に出向いたのか、自分でもよくわかりませんが、恐らく3連の運用が増えたので、レアな車両も撮影のチャンスが増えたと思ったのかも知れません。

 

1.300+35+36 (白山~平木:1994年7月)

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 相変わらず長尾線の撮影です。ところが、この時は西日本を異常な熱波が襲い、常宿のビジネスホテルは水不足(給水制限)でシャワーにも入れず、朝から身の危険を感じる暑さでした。

 

2.130+325 (白山~平木:1994年7月)

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 しかし、この熱波のなか、電車はすべて非冷房です。当然、側窓は全開。この頃の人達はそれが当たり前でしたが、琴平線だけは着々と冷房車が増えており、長尾線志度線にもそろそろ冷房車が欲しいところです。

 

3.750+870 (白山~平木:1994年7月)

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 はたして、この車両が冷房化できるものなのか、まあ広電あたりでは戦前製の半鋼製電車を冷房化した実績もあり、琴電の技量なら十分に対応できるはずです。ところが、琴電では古い電車の冷房化は実施せず、長尾線志度線はあと4年間はこの様な状況が続きます。

 

4.120+750+870 (白山~平木:1994年7月)

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 さて、早朝から撮影を開始しましたが、そろそろ朝のラッシュ時となり、3連が増えてきました。この3連はなかなかの凸凹です。

 

5.33+34+500 (白山~平木:1994年7月)

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 3連が続きますが、やはりこういう30形を絡めた3連が多いので、面白くありません。できれば5000形の顔が撮りたかったのですが、増結のM車は運用によって連結方向が決まっているようで、どっちに連結されるのか、その日の運次第です。

 

6.62+25+26 (白山~平木:1994年7月)

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 この写真は運良く、62の顔が撮れました。だんだん記憶が蘇ってきましたが、とにかく暑かったです。それでも、この頃は「熱中症」という言葉を聞きませんでした。「熱射病」はよく聞きましたが・・・