ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第999話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野(その6)

この日、長尾線では雑多なMT編成が2本運行されましたが、その他にも琴電生え抜きのMM編成が2本運行されていました。日によっては、30形ばかりの日もありますが、この日は運が良かった様です。

 

1.860+750 (西前田~高田:1994年8月)

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この日は、860と870の走行が撮れたのでもう十分でしたが、これから日没間際までがこの場所のクライマックスです。

 

2.36+35 (西前田~高田:1994年8月)

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しかし、やって来たのは30形でした。30形は2本運行されていました。まあ、2本くらいがちょうど良い様ですが、この2本は前面が非貫通編成と貫通編成だったので、これも運が良かったです。

 

3.26+25 (西前田~高田:1994年8月)

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こちらは貫通タイプの26+25です。貫通化は、行き先表示板の交換作業をしやすくするためだったそうです。本家の京急ではなかった顔ですが、悪くはありません。

 

4.130+300 (西前田~高田:1994年8月)

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ようやく生え抜きがやって来ました。この編成は1000形+3000形のコンビです。やはり、この車両を撮らないと琴電の撮影に来た実感がありません。

 

5.120+510 (水田~西前田:1994年8月)

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場所を少し移動して、ここは西前田のカーブです。こんどは1000形+5000形がやって来ました。1000形と5000形は全車が長尾線専属となり、この組合せもよく見られました。

 

6.120+510 (水田~西前田:1994年8月)

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この頃の琴電は、瓦町の駅ビル化工事が始まり、最も活気があった様に思います。輸送需要も伸びていたのか、この年の7月のダイヤ改正では、長尾線が車両不足となり、平木駅に放置されていた71が急遽復活することになりました。この時点では、そろそろ71の復活整備が始まっていたと思います。しかしながら、長尾線志度線には、いつまでたっても冷房車が入りません。まさに灼熱の讃岐平野でした。