ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1322話 1994年一畑:赤電が行ってしまったあと

今回の一畑電鉄は、第1225話の続きです。前回のブログでは、赤電ことデハニ53の朝の定期運用の様子をお伝えしましたが、今回は赤電が入庫し、朝のラッシュが終わったあとの様子をお伝えします。

 

1.デハ3 (高浜~川跡:1994年5月)

ラッシュが終わると、状況によっては、最悪、西武の食パン電車ばかりとなります。1本くらいは旧型車が走る希望はありますが、とりあえず、当たりハズレのない大社線へ向かいました。

 

2.デハ3 (遥堪~高浜:1994年5月)

この日の大社線は、デハ3の独壇場でした。・・・と、言うか、普段の日の大社線は、デハ3かデハ6のどちらかしか走っていないので、当たりもハズレもありません。

 

3.デハ3 (遥堪~高浜:1994年5月)

そして、デハ3もデハ6も、どちらも昭和一桁生まれのレトロ車なので、旧型車の空振りとなることもありません。ただ、いつまでこの様な状況が続くのかが、そろそろ気掛かりになってきました。

 

4.デハ3 (遥堪~高浜:1994年5月)

すでに、この年の秋には関東の大手私鉄からカルダン車が導入されることが決まっており、おそらく、車齢の古い電車から淘汰されることが想定されました。そうなると昭和一桁生まれのデハ1形、デハ20形、デハ二50形が淘汰のターゲットになりそうですが、デハ1形は、大社線専属の両運ワンマン車という特殊性から、たぶん最後まで残りそうな感じがしました。

 

5.デハ3 (高浜~川跡:1994年5月)

・・・と、言うことは、焦って撮影を急ぐ必要もなさそうです。でも、この季節の走行写真は記録に残しておきたいと思いました。

 

6.デハ3 (遥堪~高浜:1994年5月)

しかし、大社線の撮影は、たいてい朝のラッシュが終わってからという暗黙の流れなので昼頃となり、陽の向きはトップライトとなり、しかも5月の日差しは強く、たいへん眩しい写真になってしまいました。