そして2日目です。この日は、朝から晴天となり、前回の訪問時に叶わなかった普賢岳を入れて撮影をするため、まず深江から布津方面に歩きながら撮影を行いました。布津新田付近は普賢岳を仰ぐ田園地帯です。2月なので田圃は荒涼としていましたが、それ以上に普賢岳は地獄の様相でした。
1.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)
この日の最初は、エアサスのキハ2602がやって来ました。
ここは、昨年10月にも立ち寄った場所ですが、あの日は雨で普賢岳は雲に隠れて撮影にもならない天気でしたが、この日は一転して大迫力の普賢岳が現れました。
2.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)
ちょうどキハ2602がやって来た時、ドカンと一発普賢岳が噴煙を上げました。全くの偶然ですが、劇的な瞬間を捉えました。小規模ではありますが、噴火はまだ収まっていませんでした。迫力ある光景を目の当たりにし、列車の撮影どころではありません。
3.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)
普賢岳の大噴火は1991年でした。大昔からある周期でコンスタントに噴火を繰り返している火山ですが、この火山の噴火は大規模な火砕流を伴い甚大な被害をもたらしました。あれから30年が経ち、噴火の恐ろしさも、島鉄の分断も遠い記憶に埋もれてしまいそうです。そして、せっかく災害から立ち直った島鉄ですが、復興も虚しく南線は2008年に廃止となり、もう南線のことなど忘れ去られた感じです。
4.キハ2014 (布津新田~深江:1994年2月)
噴煙が収まると、溶岩ドームが現れました。あの溶岩ドームがいつ崩壊するのか、まだまだ油断はできません。しかし、島原鉄道の沿線でこんな風景が撮影できる場所があるとは思いませんでした。まずは出向いてみるべしです。
5.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)
キハ2602が戻って来ました。今度は普賢岳を気にせず、普通に撮影をしました。この周辺は普賢岳に向かって緩やかな斜面となっており、棚田が続いています。斜面の下から見ると、階段状の田畑は、石積みで段差になっており独特の光景です。
6.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)
このキハ26形は1997年に全廃されました。現在はキハ26形ばかりか路線もなくなってしまい、もう普賢岳をバックに列車の撮影はできません。良い時期に撮影が出来たと思います。
7.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)
加津佐行きの列車には、数人しか乗っていない様です。路線が分断されたことが理由とも思われますが、並行して路線バスも走っており、なんとなく鉄道復旧の必要性に疑問を感じざるを得ませんでした。しかし、この時点では復旧工事が決まり、先行きは明るそうに見えました。