ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第993話 1994年島原:南線と普賢岳(その4)

この日は終日天気が良かったので、夕方まで撮影することにしましたが、帰りのことを考えて、午後は再び布津新田に戻りました。

 

1.普賢岳小噴火の火砕流 (布津新田~深江:1994年2月)

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普賢岳は相変わらず不機嫌な様で、小噴火を繰り返していました。遠く火砕流も確認できました。ここなら安全でしょうが、どうも気になって落ち着けませんでした。

 

2.キハ2603 (深江~布津新田:1994年2月)

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ここは、午前中は普賢岳を背景に順光撮影ができますが、午後は高台に上がれば有明海をバックに撮影ができました。

 

3.キハ2603 (深江~布津新田:1994年2月)

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有明海を挟んで対岸に見えるのは九州本土の熊本です。この頃、島原へのアクセスは鉄道以外にも大牟田(三池)や熊本へ航路が便利でした。この日私は、夕方まで撮影を行い、島原外港から大牟田に向かいました。

 

4.キハ2603 (布津新田~深江:1994年2月)

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同じ場所から俯瞰撮影を続けました。この写真の背景は深江の街です。この街を越えたあたりが普賢岳の土石流によって被害を受けた水無川です。南線の分断が解消されたのは1997年でした。この後、3年間は分断状態が続きました。

 

5.キハ2603 (布津新田~深江:1994年2月)

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この年、島原鉄道には新車のNDCが導入されました。私が訪問した2月はまだ、新車の導入前でしたが、長年の国鉄中古車体質から脱皮します。新車は普賢岳噴火被災の復興の起爆剤となりましたが、やはり新車が導入されると廃車が発生しました。廃車となったのは、中古車ではなくオリジナル車のキハ55形でした。

 

6.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)

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今回の撮影では、気になっていた南線の状況が把握できました。この時受けた印象は、南線はこのまま廃止になってしまうのではないかという不安でした。国鉄モドキのキハ26形、55形も老い先は長くなさそうでした。その後この年の4月に再度島鉄を訪問しましたが、その様子は改めてお伝えします。