ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第990話 1994年島原:南線と普賢岳

今回は第854話の続きとなる、1994年2月の島原鉄道南線の様子です。この頃の島鉄雲仙普賢岳の噴火で南線が分断されていました。普賢岳は最初の噴火から3年が経ち、ようやく噴火も終息の方向でしたが、それでも時々小噴火を繰り返していました。

 

1.キハ2014 (西有家~竜石:1994年2月)

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ここは、西有家~竜石間の島原鉄道有明海の護岸沿いに走る区間です。台風が来たら潮を被りそうな場所ですが、結構有名な撮影ポイントでした。

 

2.キハ2014 (西有家~竜石:1994年2月)

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南線の通る島原半島の南側は。丘陵が海際まで迫っており、鉄道も道路も海際にへばり付くように敷かれていました。

 

3.キハ2014 (西有家~竜石:1994年2月)

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この場所には、ちょうど海に突き出した岩山があり、神社が祀られていましたが、撮影には申し分ないお立ち台です。

 

4.キハ2602 (西有家~竜石:1994年2月)

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はるか竜石駅まで見渡せました。ズームレンズがあれば、何枚も連写できる場所です。

 

5.キハ2014 (西有家~竜石:1994年2月)

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この辺りは普賢岳の噴火の影響はなさそうです。しかし、鉄道が分断されてしまって、さぞ不便ではないかと思いましたが、そうではなさそうです。この辺りの人達は諫早や長崎へ行くのに、元々島鉄を利用していない様で、自動車やバスで、普賢岳の裏側(島原半島の西岸)を往来している様でした。よって、島鉄の分断はあまり影響はなさそうでした。道理で列車はガラガラです。

 

6.キハ2014 (西有家~竜石:1994年2月)

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南線はもしかして、このまま廃止?のようにも思われました。しかし、その後の島鉄の復興はたいしたものでした。1997年には再び南北がつながり見事に復活しました。ところが、もう大丈夫と安心したのも束の間、輸送需要がもどらず、結局南線は廃止されました。あの復興劇は何だったのか?