ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1207話 1994年島原:列車代行バスの頃(その2)

GWの島原は陽射しが強かったですが、夕方になると穏やかな陽気になってきました。日中の普賢岳は霞んでいましたが、様子を伺いに布津新田に向かいました。

 

1.キハ5503 (布津新田~深江:1994年4月)

ここは、普賢岳をアップで撮影できる場所です。しかし、夕方は逆光であることをすっかり忘れていました。よって、普賢岳は諦めて順光で街の方向を撮影です。しかしながら、普賢岳の反対方向も絵になる風景です。列車の背景は深江の街です。この辺りは普賢岳の噴火災害から免れた一帯ですが、この画像の左に普賢岳が間近にそびえており、私の様なよそ者には、時々聞こえてくる小規模な噴火音が気になって落ち着けません。

 

2.キハ5503 (布津新田~深江:1994年4月)

キハ55形がやって来ました。丘の上から俯瞰すると、深江の街並みをバックに撮影できました。列車は田園地帯を大きくカーブするので、この時期は列車の両面を順光で撮影でき、何枚でも連写できました。

 

3.キハ5503 (深江~布津新田:1994年4月)

更にズームで追いかけると、バックに有明海が撮影できました。この場所は、朝は普賢岳、夕方は有明海をバックに撮影できる、良い撮影ポイントでした。

 

4.キハ2014 (深江~布津新田:1994年4月)

今度はキハ20形が来ました。有明海には漁船が出ていました。干潟が見えるので干潮の様です。はるか沖合いには薄っすらと熊本の山並みが見えます。

 

5.キハ2014 (深江~布津新田:1994年4月)

なんとも、長閑な光景です。つい、この数年前に普賢岳の噴火で、すぐ近くの路線が寸断されてしまったとは思えない景色です。しかし、復旧には、まだまだ時間がかかりました。

 

6.キハ2014 (布津新田~深江:1994年4月)

この街並みの向こう側は噴火災害の被災地帯です。南線の列車はこの街の深江で折り返す運転となっており、深江~島原外港間は代行バスが運行されていました。