国内路面電車の老舗であるアルナ車輌はもともと地方私鉄の電車を製造するナニワ工機と称していました。一時期、阪急や大阪地下鉄など大手の電車も製造していましたが、ローカル私鉄向けに製造された電車はとても好ましい電車が多く、私はナニワの電車が大好きです。しかし、ローカル私鉄が減少する中、同様にナニワの電車も減少し、気が付けば栗原電鉄に残っていたナニワの電車ともお別れする時がやって来ました。
1.M151 (石越~荒町:1995年3月)
今回は第1012話の続きである、栗原電鉄の非電化に伴う電車運行の最後の様子をお伝えします。早速ナニワ製のM151がやって来ました。まだ塗装も綺麗で、もうすぐ引退する電車とは思えませんが、「40年間ご苦労さまでした」の横断幕が全てを物語っていました。
2.M182 (石越~荒町:1995年3月)
おっと、この電車はナニワ製ではなく日車製の電車です。このちょっと前に福島交通からやって来たまだ新しい?電車ですが、この電車もお別れです。ずいぶん色褪せており、栗原電鉄自社発注のM150形に比べて、なんだか可哀そうでした。
3.M151 (石越~荒町:1995年3月)
思えば、私が栗原電鉄を初めて訪問した1987年時点、すでに鉱山鉄道の使命は終わっていました。その後親会社が細倉鉱山から完全撤退し、運ぶものが全くなくなってしまったにもかかわらず、親会社の恩恵でここまでやって来れました。しかし、経営の悪化により栗原電鉄は三セクの道を歩むことになり、経費節減のため、とうとう電車の運行を諦めることになりました。これでナニワの電車とお別れです。
4.M153 (石越~荒町:1995年3月)
栗原電鉄と言えば、このM15形です。細倉鉱山がまだ元気で羽振りが良かった頃、それまでの軽便鉄道を改軌した1955年に新製された車両です。日車の標準車体にも似たバス窓スタイルですが、こちらはそれよりも少し早く登場しました。
5.M153 (石越~荒町:1995年3月)
さすがに新製車なので、吊掛車ではありましたが足回りはしっかりしており、ローカル線とは思えぬ結構なスピードで走っていました。
6.M153 (石越~荒町:1995年3月)
M15形は、私好みの車両でした。この日は最後の訪問となりましたが、1日かけて、この電車を追いかけました。