ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1012話 1995年栗原:電車をやめる頃(その3)

栗原電鉄の電車は、あと10日程で全車引退となる頃でした。思えば、栗原電鉄は元々非電化の軽便鉄道でしたが、再び非電化に戻ることになります。電化から非電化となった鉄道は過去には玉野市営や羽後交通などの前例はありましたが、いずれも廃止が前提だった様にも思えます。そういう経緯からして、栗原電鉄の非電化は一時的な慰めだったのかも・・・。

 

1.M152 (若柳:1995年3月)

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この電車は40年間で240万km走ったそうです。と、言うことは、1年で6万km、1カ月で5000km、1日では160km程の走行です。実際は検査日や予備車両のローテーションを考慮すれば、1日の走行は200km程と思われます。石越~細倉間は25kmなので、1日に3~4往復走ったことになります。一般の都市交通では1日に200~300km程走るので、40年間で240万km走行は、まあ、そんな程度でしょうか。

 

2.KD951+KD953、ED201+C152 (若柳:1995年3月)

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4月1日からは気動車化されますが、この時、若柳車庫にはもう気動車がスタンバイしていました。出来たてホヤホヤの富士重工製LE-DCです。見た目はレトロ調で少し凝ったデザインですが、わたらせ渓谷鉄道のLE-DCの流れです。

 

3.KD951、ED201 (若柳:1995年3月)

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来るものと去るもの・・・複雑な心境でした。富士重工製LE-DCは、新潟鐵工製NDCとは五十歩百歩の安っぽい気動車ですが、それでも従来の車両に比べて「新しい=綺麗」、しかも冷房車なので、大歓迎された様です。

 

4.KD951+KD953 (若柳:1995年3月)

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このLE-DCはKD95形(注1)と称し、くりはら田園鉄道の新装開店に合わせて3両が新調されました。電車は7両いましたが、ずいぶん両数を減らしたものです。しかし、やはり減らし過ぎた様で、その後朝の通学用に、名古屋鉄道でお払い箱となった2軸のLE-Carを2両譲受しました。

 

5.KD951+KD953 (若柳:1995年3月)

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(注1)KD95形の車歴

・くりはら田園KD951~953:1995年富士重工

この路線は、細倉鉱山の閉山により、運ぶものがなくなってしまい、旅客も減ってしまいましたが、新車はさすがにLE-Car(2軸レールバス)ではありませんでした。KD95形は、16.5m長の中型LE-DCで、座席を1人掛と2人掛のクロスシート配置でした。しかし、想定通り?非電化後の輸送需要は減少の一途をたどります。

 

6.記念乗車券抜粋

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くりはら田園鉄道の開業により、ナニワ工機製の好ましい電車や、元軽便電機が消滅となります。若柳車庫の訪問後は沿線撮影に向かいましたが、その様子は別途、お伝えします。