栗原電鉄の若柳車庫には、唯一車籍のある電機機関車がいました。説明するまでもなく、ED201です。かつては同僚の機関車が3両いましたが、貨物輸送がなくなり、運ぶものがなくなってしまい、気が付けば1両だけになっていました。
1.ED201+C152 (若柳:1995年3月)
ED201の後ろの車両は制御車のC152です。この時点制御車はC151,152の2両が在籍していましたが、どちらも出る幕がなく、他の留置車両のじゃまにならないように車庫内を転々としていましたが、その移動のためにED201が残されていたようなものです。
2.ED201+C152 (若柳:1995年3月)
どちらも暇なので万年昼寝状態でしたが、たまにはこんな編成で営業運転されれば、結構人が集まったのではないでしょうか。
3.ED201+C152 (若柳:1995年3月)
ちなみに、このED201は栗原電鉄がまだナローゲージ時代の電化開業時に導入された機関車です。改軌こそされましたが軽便サイズです。栗原電鉄はもともと非電化の軽便鉄道でした。1950年に電化されて、このED20形と同時に電車も新調されましたが、1955年の改軌時には、ED20形以外の車両は置き換えられました。第三者から見ると非常に無駄な投資をしていた様ですが、きっと親会社の細倉鉱山が裕福だったのでしょう。
4.M183 (若柳:1995年3月)
M183(注1)は1971年製のまだ若い車両でした。本来であれば、このクラスの電車はローカル私鉄から引く手あまたのはずですが、もうこの頃には大手の中古車がはびこっており、この様な車両はニーズがなかったようです。辛うじて栗原に拾われた感じでしたが、わずか3年ちょっとのご奉仕でした。それにしても、立派な全金属製の車体は色褪せて、M15形に比べて惨めです。
(注1)M182,183の車歴
・栗原M182,183←福島交通モハ5318,5319:1971年
5.M151 (若柳:1995年3月)
M151には、「40年間ご苦労さまでした」の飾り付けが・・・40年間?。そうです、40年とは、この電車の年齢です。1955年製なので、40歳で引退です。電車の40歳は若いとは言えませんが、まだまだ元気です。しかし、引き取ってくれるところはありません。なんだか定年後の私とダブります。
6.C151 (若柳:1995年3月)
洗浄線にいたM151が出て行ったので、後ろに隠れていたC151が姿を現しました。先程のC152も同様、C15形は結構綺麗ですが使用されているのでしょうか?使用しなくても休車にならない限りは車両の検査は必要であり、お金もかかります。
7.M181 (若柳:1995年3月)
このカラオケ電車も、電車として機能しているのか?しかし、この電車はこうなってしまったので、もう一般運用には入っていない様でしたが、しっかりカラオケ電車として営業活動をやっていた様です。この日も・・・・。