ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1060話 1995年有田:ちょっと違う「働き方改革」

紀州鉄道に続き今回は同じ頃の有田鉄道です。紀州鉄道は日中も頻繁に列車を走らせていましたが、こちらの有田鉄道は訪れる度に列車本数が減り、乗るのも撮影するのも難しい鉄道になってしまいました。おまけに、デカいキハを走らせるのがもったいないので、いつしか中古のレールバスが走り出しました。

 

1.ハイモ180-101 (藤並:1995年1月)

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このレールバスは、言わずと知れた元樽見鉄道のハイモです。キハ58に比べればはるかに燃費は良く、見た目も新しく、全線所要時間はわずか12分ですが冷房付きの空気ばね車両なので、表向きはサービス向上の様に見えました。これこそ有田鉄道が求めていたものなのかも。

 

2.ハイモ180-101 (藤並:1995年1月)

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この時点の有田鉄道保有車両は、このハイモ180-101とキハ58003の2両だけでした。しかし、究極のやり繰りで、通常はハイモしか走らず、キハ58は滅多に走りませんでした。

 

3.ハイモ180-101 (藤並:1995年1月)

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ところで、このハイモ180-101(注1)は、1984年に富士重工がローカル線向けに手掛けた2軸のLE-CarⅡで、南部縦貫鉄道キハ10形(101,102)の製造から実に32年ぶりの新規レールバスです。国鉄赤字転換路線を相手に一世風靡しましたが、素人目にこの車両で輸送需要に見合う路線など普通のバスでも十分じゃないかと思っていましたが、やはりその通りで、早々とお払い箱となり、記念すべき3セク向けレールバス第1号機のハイモ180-101は身の丈に合った第ニの職場に流れ着きました。

 

4.ハイモ180-101 (藤並:1995年1月)

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(注1)ハイモ180-101の車歴

・有田ハイモ180-101←樽見ハイモ180-101:1984富士重工

この日はハイモに乗って金屋口へ向かいました。このハイモには樽見鉄道時代にも一度乗車しましたが、あの時はまだ新しかったので、乗り心地も悪くなかった記憶がありますが、有田のハイモは結構揺れました。軌道のせいなのか2軸車特有のピッチングが空腹に響きました。

 

5.御霊駅 (御霊:1995年1月)

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金屋口から沿線撮影のため藤並方面に向けて歩きました。ここは金屋口から一つ戻った御霊です。コンクリート造りの立派な駅舎です。

 

6.御霊駅 (御霊:1995年1月)

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御霊駅は当然の無人駅ですが、沿線住民の方が手入れされており、生け花が置かれた清潔感ある待合室がありました。この駅を利用する人はどのくらいいるのか?。時刻表を見ると、この頃は5往復の列車が運行されていました。

 

7.ハイモ180-101 (御霊~下津野:1995年1月)

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5往復の列車のうち、3往復が午前中(朝)に走ります。2往復目の列車を撮影するため、御霊~下津野間にあるいつもの鉄橋へ向かいました。この場所ではいつもキハ58形を撮影していましたが、やって来たハイモはやはり小さく、慌ててズームインです。この車両は製造から10年経ちましたが、ここでは立派な新車でした。