ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1059話 1995年紀州:基本は質素倹約(その2)

今回も紀伊御坊から御坊に向けて歩きながらの撮影です。紀州鉄道は、路線長が2.7kmしかなく、沿線撮影がまともに出来るのは御坊~学問間の田園地帯くらいなので、いつも同じ場所で同じような撮影になってしまいます。

 

1.キハ603 (学問~御坊:1995年1月)

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たしか前回の撮影では、キハ604が走っていました。今回はキハ603ですが、外観は全く同じです。車両も沿線風景も全く変わり映えしませんが、この現状維持が紀州鉄道にとっては重要なことの様でした。

 

2.キハ603 (学問~御坊:1995年1月)

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キハ600形は国鉄のキハ10系と同世代の車両ですが、国鉄キハ10系を私鉄版にアレンジした非貫通の18m車です。元は大分交通が国東線用に1956年に日本車輌で製造されたキハ601,602の増備車で、1960年に新潟鐵工所で製造されました。中型のローカル線向けの車両ですが、紀州鉄道には大き過ぎる感じです。エンジンもDMH17なので燃費も良くなさそうですが、紀州鉄道がこの車両を購入した1976年頃は、このクラスの車両かもっと大きい20m車しか手に入らず選択の余地はありませんでした。

 

3.キハ603 (学問~御坊:1995年1月)

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列車は平坦な路線を坦々と走り続けていましたが、どの列車も無駄な空噴かしはせず静かに滑るように走っていました。これも質素倹約の一環なのか、燃費の悪い車両なので、起動したら即、直結、速度がでたらノッチオフを励行されているようでした。この路線ならノッチオフで御坊まで走ってしまいそうです。

 

4.キハ603 (学問~御坊:1995年1月)

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そんな経済走行でしたが、この鉄道の凄いところは、列車本数の固守です。乗客の有無に関係なくほとんどの列車は紀勢本線の列車に接続していました。1日の列車本数は50本ほどありました。距離が短いとは言え、かなりの運行本数です。

 

5.キハ603 (学問~御坊:1995年1月)

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経費削減は、おうおうにしてサービス低下を伴うものですが、旅客鉄道にとって最も基本である列車本数を維持していることに頭が下がります。

 

6.紀州鉄道時刻表 平成6年9月4日改正

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この当時の時刻表です。JTBの時刻表には標記できない程の列車本数です。この頃の紀州鉄道の課題は、列車の老朽化対策と燃費向上だったのではないかと思います。お隣の有田鉄道レールバス紀州鉄道に相当な影響を与えたものと思います。しかし、紀州鉄道の中古レールバス導入は、まだ先の2000年でした。