ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1061話 1995年有田:ちょっと違う「働き方改革」(その2)

この頃の有田鉄道は、1日5往復走りましたが、この日は午前中の撮影となりました。午前中は3往復走りますが、午前中とは言え走行は朝なので、乗って撮影するとなれば2番列車以降の2往復の撮影となります。

 

1.ハイモ180-101 (御霊~下津野:1995年1月)

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最初に撮影した2往復目は、御霊~下津野での撮影です。1月なので沿線のみかん畑にはみかんが実っていません。このあたりは築堤上に線路が敷かれているので、何枚でも連写できましたが、この列車をいっぱい撮っても意味がありません。

 

2.ハイモ180-101 (御霊~下津野:1995年1月)

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しかしながら、毎度の如くフィルムを浪費してしまいました。

 

3.ハイモ180-101 (御霊~下津野:1995年1月)

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さて、レールバスの運行は1年前からでしたが、乗客が増えたわけでもなく、間もなく運用の見直しが行われます。車両は燃費がよくなりましたが、こんどは運転手さんの都合が厳しくなりました。経費節減とは言え、運転手さんにも休みは必要です。よって、2か月後の3月から運転手さんのお休みを確保するため、有田鉄道の列車は休日運休となりました。

 

4.ハイモ180-101 (御霊~下津野:1995年1月)

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従業員の労働環境改善の遵守ですが、現在の「働き方改革」とは、ちょっと意味が違うような・・・。しかし、これも「働き方改革」なのでしょう。お隣の紀州鉄道と違い、こちらはもう質素倹約どころの状況ではなくなっていました。

 

5.踏切の列車通過予定時刻表 (金屋口:1995年1月)

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金屋口構内の踏切には、なぜか通過列車の時刻表がありました。駅でもないのになぜここに時刻表があるのか?もしかして、列車本数が少ないので、廃線と思われないように注意喚起なのかも。そのうち、「休日は走りません」と追記されるのか?

 

6.ハイモ180-101 (金屋口~御霊:1995年1月)

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午前中最後の列車が戻って来ました。このあと、運転手さんは列車の掃除や列車検査を行い、駅で乗車券の販売も対応して、午後の運用に備えます。これが普通の会社なら労使問題になりそうな状況ですが、鉄道部門存続のため、労使共々わがままを言ってられないわけです。しかし、乗る人がいないなら、せめて休日くらい休もうじゃないですか。

 

7.ハイモ180-101 (金屋口~御霊:1995年1月)

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ところで、旅客鉄道の休日運休とはそれまで聞いたことがありません。まあ、列車は走らなくても、同社の路線バスが並行しており、こちらの列車もバス並なので全く問題はありませんが、聞くと路線バスも経営は苦しく、バスにしたところで態勢に何ら変わりはないそうでした。しかし、その後は更に「働き方改革?」に弾みがつき、とんでもないことになって行きますが、これには運輸局も静観するしかなかったのか?