ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第669話 1992年伊豆箱根(大雄山):羽振りが良かった頃

以前、第269話~第271話で1988年当時の伊豆箱根鉄道大雄山線の様子をお伝えしましたが、その後は近場だったにもかかわらず、さっぱりご無沙汰しており、その間にも新車はしくしくと増備されていたので、もう旧型車はなくなってしまったのかと思っていました。

ところが、3年後の1991年4月にプライベートで大雄山周辺に出向いた際に、まだ旧型車が居ることを確認しました。

 

1.クハ187+モハ166+モハ165 (大雄山:1991年4月)

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 この写真は、1991年4月に撮影したものです。この時点で旧型車はまだ元相模グループの3連3本と、元旧国の両運車が1両残っていました。これをきっかけに再度旧型車の走行撮影を計画しましたが、なかなか機会がなく、再訪問が実現したのは1年後の1992年4月でした。幸いこの間に新車の増備はなく、旧型車も安泰でした。

 

2.クハ186、クハ187、クハ185 (大雄山:1992年4月)

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この写真から1992年4月になります。この日は午前中に箱根登山鉄道の撮影を行い、午後から大雄山線に出向きました。

 当時残っていた旧型車の3連3本はいずれもラッシュ時専用の様で、仲良く構内で昼寝していました。やはりこれらの車両の走行を撮影するには朝に出向くしかないようでした。

 

3.モハ66 (大雄山:1992年4月)

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 そしてもう1両。この車両は編成を組んでいた車両が1987年に廃車となった以降、両運車だったことが幸いして、全般検査等で駿豆線の大場工場に入出場する車両の大雄山線内甲種回送の機関車代用として残されていました。この時点ではまだモハ66を名乗っていましたが、この年の8月に工事用車両としてコデ66に改称されます。

 

4.モハ66 (大雄山:1992年4月)

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 モハ66は大雄山線で残った唯一の旧国です。元国鉄クモハ12000で、当時JR東の鶴見線に現役で残っていたクモハ12形50番台とは異母兄弟と言ったところです。

 

5.クハ186+モハ162+モハ161 (大雄山:1991年4月)

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 ところで、昼寝中と思っていたクハ186+モハ162+モハ161が運用されていました。これに触発されて本線撮影に直行です。

 

6.モハ5005+モハ5006+クハ5503 (相模沼田~飯田岡:1992年4月)

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大雄山線の走行撮影は、毎度お馴染みの相模沼田~飯田岡間です。まだ田植えの前で一面草原と化していましたが、障害物もなく撮影には最適な場所です。しかし、タイミングが悪く、旧型車は行ってしまった直後で、しばらく新車をやり過ごさなければなりません。