1992年の正月も谷汲線詣に出向きましたが、実は一畑電鉄の帰り道でした。
正確には、年末から琴電~一畑~谷汲と渡り歩き、吊掛電車三昧でした。新年早々、金毘羅山にも出雲大社にも谷汲山華厳寺にも寄らず、大変ばちあたりではありますが、これも限られた日程だったため、ひたすら古い電車を追い掛けていました。
1.モ512+モ513 (長瀬~谷汲:1992年1月)
ところで、年末から放浪をしていたので、いい加減疲れも溜まり、谷汲線はほんのお茶濁し程度の訪問となりました。まずは、毎度の長瀬~谷汲間です。
2.モ512+モ513 (長瀬~谷汲:1992年1月)
この日は雲の多い日でしたが、モ510形の登場に合わせた様に陽が差しました。
先に第445話でお伝えしましたが、この3ヵ月前にも、揖斐線の朝の3連を撮るため岐阜を訪れていました。その時はモ510形は走っていませんでした。よって、そのリベンジでもあったわけですが、モ510形との再会は2年ぶりとなります。
3.モ512+モ513 (長瀬~谷汲:1992年1月)
モ510形は相変わらず元気そうでしたが、この谷汲線はいつまで経っても大正時代のままです。どういうわけだか、谷汲線には新車が入って来ません。よほど電力事情がよくなかった様ですが、改善の兆しもまったくありませんでした。そういう意味では、将来性のない路線と言ったところでしょうか。
4.ク2323+モ702 (谷汲~長瀬:1992年1月)
そして、これも大正時代の産物である愛電と名岐のコンビです。この当時モ510形はすでに隠居生活に入っており、波動対応の予備車的存在でしたが、こちらの赤電はまだまだバリバリの現役主力車でした。しかし見るからにかなりくたびれていました。
5.モ702+ク2323 (長瀬~谷汲:1992年1月)
この日は、本腰を入れた撮影ではなかったので、愛電・名岐コンビはこのくらいにして、とりあえずモ510形を追い掛けて揖斐線に移動しました。
6.モ512+モ513 (政田~下方:1992年1月)
午後になると曇ってしまいました。この辺は関ケ原に近いこともあり、冬場は日本海から流れる雪雲の通り道です。よって天気は不安定で目まぐるしく変わります。
撮影は折り返して来るモ510形の時間を考えて、政田~下方間の根尾川橋梁で行いました。
7.モ512+モ513 (政田~下方:1992年1月)
戻って来た510形は、急行の黒野行でした。 この日はもう谷汲へは行かず、黒野で入庫の様でした。早く帰れと諭されているようなので、撤収です。
この時点、モ510形は3両(512,513,514)が健在でした。このような波動輸送やイベント対応で、この3両はその後もまだまだ生き延びます。