1990年代は、片上鉄道や下津井電鉄が廃止され、山陽路のローカル私鉄は実質消滅しました。その後は撮影の対象がなくなってしまいましたが、数少ない保存車を求めて彷徨は続きました。すでに、一部の保存車についてお伝えしていますが、今回は未公開の画像をまとめてみました。
1.キハ2(保存車) (元円長寺駅跡:1995年8月)
先ずは別府鉄道です。別府鉄道の保存車両は、すでに第797話,第798話でもお伝えしましたが、播磨郷土資料館に保存されたDC302とハフ5以外の、地元で保存されたキハ2とキハ101のその後はヤバイ状況になっていました。
2.キハ2(保存車) (元円長寺駅跡:1995年8月)
写真は円長寺駅跡の公園に地元の集会所として活用されたキハ2です。第798話では、1990年当時の保存整備直後の様子をお伝えしましたが、あれから5年後の状況がこの写真です。
3.キハ2(保存車) (元円長寺駅跡:1995年8月)
塗装を塗り替えたのか、本来のピンク色に近い色合いになっていましたが、屋根材が剥がれて哀れな状態です。誰かの悪戯なのか、ドアが開けられて窓ガラスも一部割られていました。
4.キハ2(保存車) (元円長寺駅跡:1995年8月)
この車両は地元の集会所を兼ねていたので、いずれ修理されるだろうと思いましたが、結局このまま朽ち果てる寸前まで放置されてしまい、あわや解体かと諦めていましたが、幸い「旧別府鉄道キハ2号を守る会」によって修復が進められています。しかし、廃線から40年になりますが、車両の保存は本当に大変です。保存団体の方々には頭が下がります。
5.キハ101(保存車) (別府町中島公園:1997年12月)
こちらは、もう1両地元で保存されたキハ101です。こちらもかなり痛みが進んでいました。やはり窓が割られて車内も荒らされていました。この時点で廃止から13年経ち、公園で遊ぶ子供たちには、乗ったこともないこの車両が何のためにここにあるのか、そんなことはどうでも良いことです。
6.キハ101(保存車) (別府町中島公園:1997年12月)
路線廃止後は、よく地元の公園などで車両が保存展示されますが、私が思うに、もっとも信頼性のない保存パターンです。たいていは露天保存であり、定期的な整備費用など予算化もされないまま朽ちてしまうケースが常です。時が経てば、記憶や思い入れが薄れ、ましてや他所から来た車両などどうでも良くなってしまうわけです。
7.キハ101(保存車) (別府町中島公園:1997年12月)
片上からやって来たこのキハ101もご多聞に漏れず、全く同じ轍を踏んでしまい、まもなく消滅しました。せっかく保存されましたが哀れな最後です。