別府鉄道との付き合いは1976年から毎年一度は訪問しているので、この時は5回目の訪問でした。この4年間での変化は、機関車のDC301が廃車となり、DD502が移籍して来た以外は特に変化はありませんでしたが、やはり気動車や客車の老朽化は素人目にも気になりました。しかし1980年代に入ると、車両の更新よりも深刻な国鉄貨物の合理化が現実的になって来ました。
別府港機関区の全景です。
この日はキハ2Ⅱが見当たりません。珍しく野口線の運用に入っていました。
2.DC301 (別府港:1980年3月)
機関車庫を覗くと、DC302(注1)がいました。この機関車はいつも庫内の奥に入っているので、なかなか写真が撮れませんでしたが、この日ようやく撮影できました。
Ⅼ形3軸ロッドでやけに腰高な機関車です。この機関車は倉敷市交(現水島臨海鉄道)から1966年に譲受した車両でジャック軸付きの機械式です。
(注1)DC302の車歴 別府DC302←倉敷市DC501:1953年川崎車輌製
3.ハフ5他 (別府港:1980年3月)
この日もハフ5は別府港で昼寝です。ちょっと車内をのぞかせてもらいました。
4.ハフ5車内 (別府港:1980年3月)
ハフ5の車内です。元神中鉄道の気動車ですが、すでにその面影はありません。
座席はモケット張りでしたが、なぜか座布団が青色で背ズリが緑色です。
5.キハ101他 (別府港:1980年3月)
この日も天気が良くなく、一通り車両を撮ったら撤収です。
6.キハ3 (別府港:1980年3月)
この日は、現役時代の別府鉄道を見た最後の日になりました。
別府鉄道の廃止はこの4年後1984年1月ですが、この後私は大学受験やら引っ越しやらでしばらく撮影旅行から遠ざかってしまい、気が付いたのは別府鉄道の廃止を伝える報道が流れた時でした。
この日最後にキハ2Ⅱに乗り、別府港をあとにしました。