1980年3月は春休みを利用して広島から東京へ撮影旅行に出向きました。
東京では関東近辺のローカル私鉄を早回りし、東武熊谷線なども乗って来ましたが、帰りは恒例の急行「銀河51号」に乗り、別府鉄道を訪問しました。
1.キハ3+ワ1+ハフ5 (別府港:1980年3月)
別府港の車庫には、いつものキハ3がワ1とハフ5を従えて鎮座していました。
天気が薄曇りなので逆光は気にせず撮影ができましたが、どうもキハ3が変です。
2.キハ3 (別府港:1980年3月)
何が変なのか・・・・色です!!
キハ3と言えば、あの“ベフピンク”のはずが、どうみても違います。どうやら、片上からやって来たキハ101に色を合わせた様です。まあ同じ色の方がメンテナンスの都合が良いのはわかりますが、キハ3はあの奇抜なショッキングピンクだからこそ目立つ存在だったのに残念です。
3.キハ3 (別府港:1980年3月)
ご参考までに、第15話でご紹介した“ベフピンク”時代のキハ3の写真を再添付します。
4.“ベフピンク”が強烈なキハ3 (別府港:1977年8月)
やはりキハ3はこのピンク色です。しかし、この色は復活することなく廃止を迎えてしまいました。
5.キハ3車内 (別府港:1980年3月)
キハ3の車内です。この写真しかなく、画像が不鮮明で残念です。
キハ3は元々佐久鉄道のキホハニ56という荷物室合造の気動車でした。ドアが3カ所あるのがその名残ですが、国鉄時代には荷物室を客室化し、写真をご覧の通り、元荷物室部分に座席が設けられました。運転室が半室となっており、運転室の横は車端まで座席があります。座席はよく見るとビニールシートです。まだこんな座席を使っていました。
ところどころ窓に縦桟が残っていますが、これは戦時中は大きなサイズのガラスが入手困難で、板などをはめていた名残です。そして、床が盛り上がっていますが、これは縦型機関だったためです。
6.キハ101 (別府港:1980年3月)
キハ101は車体裾部の外板を追加したため格好悪くなりました。この改造はいったい何のために行ったのでしょうか?
ところで、このキハ101を逆に“ベフピンク”に塗っていたらどうなっていたのか、想像するだけでゾッとします。
7.キハ101車内 (別府港:1980年3月)
キハ101の車内は元国鉄キハ41000形そのものです。木製の低い背ズリの座席が、往年の機械式ガソリン動車そのものでした。