ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1133話 1995年蒲原:路線短縮から10年(その3)

村松車庫では、一通りの撮影は終わったのですが、まだ時間がたっぷりありました。しかし、もう撮影するネタがありません。かつては、ここから信越線の加茂まで17.7kmもの越後の里山らしい風景が展開する路線があり、撮影には申し分ありませんでしたが、もう過去の話しです。

 

1.モハ31 (村松~今泉:1995年10月)

車庫内をブラブラしていたら、ちょうどモハ31が戻って来ました。モハ31を車庫脇で撮影し、とりあえず、この電車の折返しで帰ることにしました。

 

2.モハ41、モハ31 (村松:1995年10月)

写真は左がモハ41と右がモハ31です。この2両は同じような車両ですが、モハ41は3扉でモハ31よりも車体が1.5m程長いです。でも、元々は同型の車体でした。いずれも古い車両の臓物を流用して車体新製されたものです。モハ41は1963年に車体の不燃化や外板更新を行った際に3扉化されて、車体長が伸びましたが、モハ31はそのままです。よって、モハ31の方がオリジナルと言うことです。この車両達の車歴については第33話をご覧下さい。

 

3.モハ31 (村松:1995年10月)

折返しを待つモハ31です。ホームの柱にはホーロー製の看板がにぎやかです。いかにもローカル線の中核駅です。

 

4.モハ31 (今泉~五泉:1995年10月)

モハ31に乗り真っすぐ帰る予定でしたが、何かもの足りないので今泉で下車しました。モハ31をホームから見送って、ここから五泉まで再び歩いて撮影です。

 

5.モハ31 (今泉~五泉:1995年10月)

朝に比べて、陽の向きが正面を差していました。しかし、やって来るのはモハ31ばかりです。

 

6.モハ31 (今泉~五泉:1995年10月)

蒲原鉄道は、その後もしばらくはこんな感じで、何の変化もありませんでした。しかし設備や車両の老朽化はジワジワ進行していました。一時期イベントに目覚めた時期があり、会社創立77周年記念など記念列車を運転して久々に話題を提供していましたが、残念ながら老朽化した設備と共に新世紀を迎えることができませんでした。