ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第554話 1988年蒲原:地元の足

1988年4月、新潟の長期出張が終わりに近づき、久々の蒲原鉄道を訪問しました。加茂~村松間の廃止からちょうど3年が経っていましたが、部分廃止以降は車両の変化もなく、これと言った話題もなく、もう鉄道誌に取り上げられることもほとんどありませんでした。辛うじてJTBの時刻表には小さく掲載されており、取り敢えずは生きていることは確認できましたが、もし東京に居たら、これだけを見るために、わざわざ出向くことはなかったと思います。

 

1.モハ31 (村松~今泉:1988年4月)

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 この1年前には、村松~加茂間の廃線跡を探訪しましたが、今回は車両の様子を見ただけです。残存区間五泉村松間は、相変わらずほぼ30分間隔でピストン輸送されており、この日はモハ41が運用されていました。しかし、この区間はご覧の通り、国道が並行しており、まともに撮影できる場所がほとんどありません。

 

2.ED1 (村松:1988年4月)

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 村松車庫では、ED1が日向ぼっこしていました。

この機関車は全くの失業状態でしたが、綺麗に整備されていました。脇に写るバスは、蒲原鉄道のバスですが、奇抜な塗装で正直邪魔でしたが、改めて見ると結構レトロなバスです。

 

3.ED1 (村松:1988年4月)

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 ED1は、一見舶来機の様に見えますが、日車製のウェスチングハウス・モドキです。しかし、この類の機関車もずいぶん減ってしまいました。路線長わずか4.2kmで貨物輸送もないこの路線に、なぜこんな立派な機関車が在籍しているのか不思議です。恐らくは、生え抜き車両なので手放せなかったのでしょう。

 

4.ED1 (村松:1988年4月)

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 後ろのバスが邪魔でしたが、光線状態が良かったので、形式写真を撮りました。モドキですが、なかなか渋い機関車でした。

 

5.旧モハ1(デ2)廃車体 (村松:1988年4月)

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 作業場の詰所としてモハ1(デ2)の廃車体が使用されていましたが、その後、この車体が復元されることになり、驚きです。

 

6.貨車(廃車) (五泉:1988年4月)

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蒲原鉄道には使命を終えた数両の木造貨車が五泉村松の構内に保管されていました。これらの貨車は、1985年の部分廃止後に廃車となり、このような状態がその後も続きましたが、廃線直前になり整備され、保存のため有田鉄道へ譲渡されました。