全長わずか4.2kmの蒲原鉄道は、村松~五泉間の「地元の足」として定着していました。しかしこの頃は、バス事業が優位に立ち、村松~新潟間の高速バスで成り立っている感じでした。蒲原鉄道は地元のローカル路線バス事業も行っていましたが、そちらは振るわない様でしたが・・・・。
1.モハ31 (村松:1988年4月)
在籍車両は全く変化なしでした。この日はモハ31が運用されていましたが、モハ41とモハ61は庫内に隠れており、撮影も出来ませんでした。
2.モハ71+クハ10 (村松:1988年4月)
ラッシュ専用のモハ71+クハ10も日中はいつもの場所で昼寝です。平日の朝しか走らないとは、もったいないと言うか、なかなか走行撮影ができない困った車両です。しかし、時々モハ71は単行で運用されていたようです。
3.モハ71の車内 (村松:1988年4月)
モハ71の車内は、蒲原鉄道標準の内装色でした。赤いモケットの腰掛が目にしみます。車内は広告も一切なしで、竣工時の形式写真の様です。
4.クハ10 (村松:1988年4月)
元機械式気動車だったクハ10は、全国にいた仲間がどんどん減ってしまいました。お隣の新潟交通のクハ37も既に休車状態で、1989年に廃車となりますが、このクハ10は蒲原鉄道が全線廃止となる1999年まで生き延びました。
5.クハ10の車内 (村松:1988年4月)
クハ10は前面が改造されてしまい、元気動車の面影が感じられませんでしたが、車内は低い背ズリの木製クロスシートなど、往年のキハ41000形の雰囲気がそのままで、赤いモケットが粋な車両でした。
6.モハ12(廃車) (村松:1988年4月)
モハ12は3年前に廃車されましたが、その後はずーっとここに居ます。保存するつもりなのか?しかし、着々と朽ちていました。
7.モハ12(廃車)の車内 (村松:1988年4月)
モハ12の車内です。窓越しに撮影したので、不鮮明な画像になってしまいました。
モハ12の車内は時間が止まっていました。この車両の現役時代に何度か乗りましたが、ラフな床板は、隙間から線路が見えていた記憶があります。
蒲原鉄道は、この先11年も現状維持が続きました。しかし、設備の老朽化が進み、1999年に全廃されました。全廃までの11年は何の変化もなく、坦々と走り続けましたが、その様子を時々のぞきに行きました。