今回も1987年9月の蒲原鉄道の話題ですが、これは前回の第417話とは違う日の様子です。前回は、村松車庫の訪問だけでしたが、今回は沿線写真を撮影しました。
1.モハ61 (五泉:1987年9月)
今回も、五泉駅でモハ61が出迎えてくれました。その左側には磐越西線のタラコ色の気動車が少しだけ写っています。かつては、この五泉駅で貨物の受け渡しを行っており、蒲原鉄道の線路は磐越西線につながっていました。
2.モハ61 (五泉:1987年9月)
蒲原鉄道の五泉駅はJR五泉駅と同じ構内にあり、お互いのホームへは自由に行き来できましたが、蒲原鉄道の専用改札口がありました。
蒲原鉄道は五泉駅を出るとすぐに右へカーブしてその後は村松駅まで一直線です。
3.モハ61 (五泉~今泉:1987年9月)
ここは、五泉駅を出てすぐの右カーブの場所です。線路わきの道路は舗装されていますが、道路と線路の境界もなく、なにより障害物もないので撮影向きの場所でした。
4.モハ61 (今泉~五泉:1987年9月)
五泉を出た右カーブの先も今泉駅まではこんな感じで撮影できました。
5.モハ61 (今泉:1987年9月)
今泉にモハ61が到着しました。ここから乗車しましたが、この駅から先は線路の横に県道が並行し、撮影がしづらくなります。
今泉は唯一の中間駅ですが、ここから乗車するとまずは、運転手さんに料金を払って車内で切符を買います。車内で購入した切符は硬券で、ちゃんと日付印を入れてくれました。
6.モハ71+クハ10 (村松:1987年9月)
村松車庫には、モハ71+クハ10の2連が留置されていました。
この2連は、朝のラッシュ用に編成されたものです。以前は乗客が多かったので3連を組んでいましたが、もう2連でも十分なくらいでした。車両が余っていたので、この2連は朝だけ走って、あとは昼寝の毎日でした。
7.クハ10 (村松:1987年9月)
このクハ10は、元国鉄機械式気動車であるキハ41000系の成れの果てです。
前面が3枚窓に改造されて、その面影が伺えませんが、お隣の新潟交通のクハ37とは、同じ新潟鐵工所製の兄弟車でした。
この後も蒲原鉄道には、路線短縮後の動向が気になって、時々様子を伺いに出向きました。堅実な運用でバブル崩壊を乗り越えましたが、お隣の新潟交通同様に輸送需要が減り、苦しい状況に向かいます。