ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第120話 1985年蒲原 路線縮小の時(その3)

今回の撮影旅行も友人と一緒で、友人が借りた車で移動しました。前回の秋の撮影時も車だったので沿線の道路事情や裏道まで把握できており、列車を先回りするなど大変効率良く撮影できました。そしてこの時期の天気の急変も気にせず撮影に没頭できたのも車のおかげでした。

 

1.モハ12+モハ51+モハ11,保線車両 (大蒲原:1985年3月)

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2.さよらな列車の交換(七谷:1985年3月)

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 さよなら列車は七谷で列車交換しました。ところが、両列車とも満員でしかも全電動車が一斉にノッチを入れて起動するため、この両列車が出発する際に、変電所のブレーカーが飛んでしまいました。すぐに復電しましたが、電力設備も相当へたっていたようです。もっとも、これほどの大量輸送など開業以来想定もしていなかったのでしょう。

 

3.モハ12+モハ51+モハ11 (土倉~高松:1985年3月)

 

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 やはり3連は電気を喰います。電圧降下で登り勾配はジリ貧です。この日は列車の遅れが相当出ましたが、何回も変電所のブレーカーが飛んだようです。今なら運輸局の指導を受けそうですが、もうなくなっちゃうのでご愛嬌です。

 

4.モハ31+モハ41 (高松~大蒲原:1985年3月)

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 晴れ間が出てきました。やって来たのは今回初登場のモハ31+モハ41の2連です。

この列車は、さよなら列車ではなさそうで装飾はありませんが、それが日常的でよかったです。

 

5.モハ91+クハ10+モハ81 (土倉~高松:1985年3月)

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 移籍車3連のさよなら列車を真横から写しました。左端のモハ91の小ささが目立ち、凸凹編成が際立ちます。中間車のクハ10(注1)は、元国鉄キハ41000形の成れの果てですが、普段は村松五泉間の朝ラッシュの限定運用に充当されていたのが幸いして、路線短縮後も残りました。しかし、両端のモハ91とモハ81はこのさよなら運転を最後に廃車解体されました。

(注1)クハ10の車歴:蒲原クハ10←国鉄キハ41120:1935年川崎車輌

クハ10は1950年に廃車となった元国鉄キハ41120を蒲原鉄道が譲受しました。当初はキハ41000形の外観のままクハとして使用されていましたが、1961年に西武所沢工場で前面窓の3枚化と連妻の貫通化を図り、電動車で唯一貫通車であるモハ71とコンビを組んでラッシュ時専用となりました。運用区間村松五泉間なので運行時間はわずか8分程度でしたが、車内はクロスシートを維持し、全線廃止の1999年まで活躍しました。

 

6.モハ71 (西村松~寺田:1985年3月)

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 夕方になり、モハ71の単行が運用に入りました。これでこの日はモハ61以外の電車は全て運用に入りました。