ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第119話 1985年蒲原 路線縮小の時(その2)

蒲原鉄道の加茂駅は、国鉄の加茂駅に隣接していました。両駅とも同じ構内にあり、長らく蒲原鉄道国鉄の加茂駅に同居している感じでしたが、晩年は駅の北側に蒲原鉄道の駅舎と改札が設置されました。かつては貨物の受け渡しもあったそうですが、機回し線もそのままで、もったいないくらい広い構内でした。

 

1.モハ12+モハ51+モハ11 (加茂:1985年3月)

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加茂駅に停車中の3連です。普段は予備車で撮影できない車両もこの時ばかりは主役です。しかしこれが最後の晴れ舞台となり、路線短縮後この3両は全て廃車となりました。なお廃車後、3両とも何らかのかたちで、解体を免れましたが、今はどうなっていることやら?。

 

2.モハ12+モハ51+モハ11 (加茂:1985年3月)

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 モハ12だけはなぜか1978年にワンマン化され、前身であるデ11形一族では一番活躍した車両です。せっかくのワンマン車でしたが路線短縮時に廃車となり、全線廃止となった1999年まで村松車庫に保管されていましたがその後個人に引き取られたとか?

 

3.モハ11+モハ51+モハ12 (加茂:1985年3月)

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 村松~加茂間の最終日は翌日でしたが、すでにセレモニーの装飾は済んでいました。皆さん線路に降りて、各々記念撮影をされていました。佳き時代でした。 

 

4.モハ11+モハ51+モハ12 (加茂:1985年3月)

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 モハ11、モハ12、モハ51(注1)は、蒲原鉄道村松~加茂間の開業に備えて増備したデ11形(デ11~13)でした。モハに改称後、モハ13だけ台車振替によりモハ51となりましたが、全車オリジナルの形態をほぼ維持していました。しかし、この3両は村松~加茂間と運命を共にしました。

(注1)モハ11,モハ12,モハ13の車歴

・蒲原モハ11,12←蒲原デ11,12:1930年日本車輌

・蒲原モハ51←蒲原モハ13←蒲原デ13:1930年日本車輌

 

5.モハ41,モハ12他 (村松:1985年3月)

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 モハ41は創業時に導入されたデ2の更新名義で車体新製された車両ですが、車体重量の関係で台車をモハ13と交換し、その後はモハ13の名義を引き継ぎ、モハ13はモハ51となり、何ともややこしいです。なお、このモハ41は路線短縮後も主力として残りました。

 

6.モハ61 (村松:1985年3月)

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 モハ61(注2)は路線短縮後も残りましたが、この時はイベント用にお座敷列車となっていました。この車両は元西武鉄道クハ1232を1958年に譲受し、西武所沢工場で両運電動車化されました。同じく西武から来たモハ71に比べて容姿が整っており、蒲原の電車の中では一番まともな車両に見えました。

(注2)モハ61の車歴

・蒲原モハ61←西武クハ1233←西武クハ1232←武蔵野クハ5856:1940年日本鉄道自動車製