ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第118話 1985年蒲原 路線縮小の時

1985年3月末、蒲原鉄道は路線の大半である加茂~村松間を廃止しました。その「さよなら運転」を見届けるため、3月30日と31日の2日間、まだ春がほど遠い蒲原に私は友人と出向きました。

この時、私は初めて自前の一眼レフにチャレンジしました。カメラはキャノンAE-1で50㎜標準レンズ以外に何もオプションはありません。まだ全く使い慣れていませんが、「さよなら運転」という貴重なイベントで"ぶっつけ本番”となりました。

 

1.古豪の自社発注車3連、モハ11+モハ51+モハ12 (七谷:1985年3月)

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新潟の冬の天気はつかみどころがありません。さっきまで晴れていたのに突然吹雪になったり、時には雷鳴も響きます。この日ももう4月になろうというのに、雪が降っていました。こんな天気で、露出の調整に苦慮しました。

最終日を明日に控えていましたが、春休みなので結構な野次馬が押し寄せており、「さよなら列車」は3連が2本運用されていました。その1本がモハ11+モハ51+モハ12でした。この3両は蒲原鉄道の生え抜き車両で、生まれは一緒の三つ子ですが、それぞれ独自の経過を辿ってきました。しかし3両共外観はほとんどオリジナルのままだったので3両揃うとそれなりの編成美です。

 

2.移籍車3連、モハ81+クハ10+モハ91 (狭口~駒岡:1985年3月)

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 もう1本の「さよなら列車」は移籍車で組成された3連でした。こちらは凸凹編成で編成美どころではありませんが、これもローカル私鉄ならではです。先頭車は元越後交通長岡線のモハ3002だったモハ81です。

 

3.移籍車3連、モハ91+クハ10+モハ81 (駒岡~狭口:1985年3月)

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 この写真は記念すべき、一眼レフで写した最初のカットです。先頭のモハ91は元山形交通の三山線からやって来た車両ですが、山形交通が廃止となり、蒲原で2度目の「さよなら列車」を経験することになりました。車体はまだ古くはありませんが、小型車であったことから部分廃止後は余剰車として廃車解体となりました。

 

4.「さよなら列車」モハ11+・・・(駒岡~狭口:1985年3月)

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 普段はワンマンカーのモハ12も「さよなら列車」に組み込まれました。この車両だけ意味不明な乗務員扉が付いていましたが、他の2両とは違和感なく3連を構成していました。

 

5.古豪3連、モハ11+モハ51+モハ12  (駒岡~狭口:1985年3月)

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こんな3連は普段は見ることが出来ません。蒲原鉄道の計らいでしょうが、この3連は中間車のモハ51はパンタを上げていますがトレーラー扱いでした。しかし非総括制御なので前後車に運転手が乗っていました。実際に乗ってみましたが、スタート時のタイミングが合わないと車両同士が前後に突き合って大変なことになります。気動車ならエンストで済みますが、何の保護機能もない直接制御の電車は空転でもしたらモーターが焼けちゃいます。

 

6.移籍車3連、モハ91+クハ10+モハ81 (七谷~冬鳥越:1985年3月)

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何もない七谷駅に3連がやって来ました。この場所は線路と道路が並んでおり、併用軌道の様です。そういえば、この前年の夏に炎天下のなか、喉カラカラでこの道を歩いた辛い思い出が蘇ります・・・・。詳しくは第30話をご覧下さい。