ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第117話 1988年津軽 北国の春(その6)

津軽の最終回は、客車列車の車両編です。

津軽鉄道は以前より気動車メーカーの新潟鐵工所との関わりが深く、当時の一世代前の機関車や気動車新潟鐵工所製でした。特に前代のDC20形という機関車は箱型の奇妙な機関車で有名でしたが、戦後製新潟鐵工所の初っ端の機関車だったためか、非力で調子も宜しくなく、早々DD35形に追い出されてしまいました。

 

1.DD352+オハ463+オハフ331 (五所川原:1988年5月)

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 客車列車の牽引機であるDD35形(注1)は2両在籍しました。2両共新潟鐵工製の凸型35tの標準機です。足回りがロッド式で古めかしいですが、雪国ではロッド式の方が信頼が高かったようです。また、この2両は導入年が少しずれており、形態も少し異なります。外観上の相違点は排気管の位置で、DD351は排気管がキャブの隅に寄っており、前面窓が3枚ですが、DD352は排気管がキャブの前面中央にあり前面窓が2枚です。同年代に製造された茨城交通のケキ102、103もほぼ同形車でした。

(注1)DD35形の車歴

津軽DD351:1957年新潟鐵工所

津軽DD352:1959年新潟鐵工所

 

2.ナハフ1201+ナハフ1203 (五所川原:1988年5月)

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 ナハフ1200形(注2)は通学列車や気動車の増結用に増備された車両ですが、元西武電車のクハ1151形を1965年に譲受し、運転台を撤去して客車化したものです。なおこの車両はウエバスト式の暖房装置を備えており、ストーブ列車ではありません。川造タイプの車両で、お隣の弘南鉄道にも電車のまま活躍していた同形車が存在しました。

 

3.ナハフ1202+オハ462 (五所川原:1988年5月)

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 (注2)ナハフ1200形の車歴

津軽ナハフ1201←西武クハ1157←西武クハ1107←西武クハ606:1928年川崎造船

津軽ナハフ1202←西武クハ1155←西武クハ1105←西武クハ604:1928年川崎造船

津軽ナハフ1203←西武クハ1157←西武クハ1108←西武クハ607:1928年川崎造船

ナハフ1200形は輸送需要の低迷で使用頻度が減り、1995年にナハフ1201が廃車となり、その他は保留車となって朽ち果てそうです。

 

4.オハ462+ナハ1202 (五所川原:1988年5月)

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 ストーブ列車に使用する客車は元国鉄のオハフ33形とオハ46形(注3)でした。これらの車両は1983年に国鉄から譲受したものです。オハフ33形はすでに車齢が70年となり、機関車共々維持管理が大変だと思います。

(注3)オハフ33形,オハ46形の車歴

津軽オハフ331←国鉄オハフ332520←国鉄オハフ33520:1948年新潟鐵工所

津軽オハ462←国鉄オハ462612←国鉄オハ46612←国鉄スハ43612:1954年日立製作所

津軽オハ463←国鉄オハ462662←国鉄オハ46662←国鉄スハ43662:1955年川崎車輌

 

 5.オハ463車体標記 (五所川原:1988年5月)

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 津軽鉄道の社章は大変複雑で重厚なものです。よく見るとビス止めされており、この社章はプレートになっていました。

 

6.オハフ331車内 (五所川原:1988年5月)

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 この頃の客車の車内はニス塗りで国鉄時代のオリジナルのままでした。季節的にすでにだるまストーブは撤収されていますが、冬季は1両に2カ所座席を外して、だるまストーブが置かれます。

 

 7.オハ463車内 (五所川原:1988年5月)

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 オハ46の方はさすがに元優等列車の成れの果てだけあって、車内は白色系です。室内灯のグローブが時代を感じさせます。

 

さて、1988年の津軽鉄道は今回が最終回です。この津軽訪問は東北地方のローカル線早回りの一部です。この早回りでは栗原電鉄→南部縦貫鉄道十和田観光電鉄津軽鉄道弘南鉄道を巡るものでした、津軽鉄道以外については別途報告します。