5月の津軽は晴れれば最高ですが、花曇りの季節なのでこの日も午前中の撮影が勝負でした。よって、走行撮影は午前中に集中して行い、曇ったら列車に乗ってロケハンです。
1.DD351+オハフ331+オハ463 (毘沙門~嘉瀬:1988年5月)
毘沙門~嘉瀬間は起伏があり、この様に築堤を俯瞰できる場所があり、午後は順光で撮影できます。この写真は31年前のものですが、現在も周りの風景は変わっていないと思います。
2.DD351+オハフ331+オハ463 (嘉瀬~金木:1988年5月)
金木駅近くの築堤を五所川原に向かう客車列車です。金木駅は丘の上にありますが、この辺りの築堤は、かつて津軽半島に存在した津軽森林鉄道をオーバーパスしていた名残です。
3.キハ24026、キハ24021 (金木:1988年5月)
金木は沿線で一番大きな街で、作家の太宰治の生誕の地です。
上下列車はこの駅で交換を行います。当然タブレット閉塞でした。写真は元国鉄のキハ11形と津軽鉄道オリジナルのキハ24000形の交換風景ですが、昭和40年代の国鉄のローカル線のようです。
4.キハ24021+キハ24023 (津軽中里:1988年5月)
曇ってきたので、沿線撮影を切り上げて終点の津軽中里に向かいました。写真は津軽中里に停車中のキハ24000形2連です。画面の奥が線路の終端ですが、丘に突き当たるように終わっていました。
5.キハ24021+キハ24023 (五所川原:1988年5月)
ここからは1988年当時の車両についてご紹介します。
当時の気動車はキハ24000形一形式のみでしたが、キハ24021~24024(注1)が津軽鉄道自社発注のオリジナル車で、キハ24025,24026が元国鉄キハ11形の譲受車です。自社発注車は津軽鉄道初のトルコン車で、製造当時の国鉄の寒冷地向け最新気動車であったキハ21形を模して製造されました。もっとも、国鉄キハ21形もキハ24000形もメーカーは同じ新潟鐵工所だったので、必然的に同じような車両になってしまったようです。しかし、形態はほとんど国鉄キハ21形ですが、津軽のキハ24000形は側窓が1段上昇タイプでドア間がクロスシート、トイレはありません。
(注1)キハ24000形(キハ24021~24024)の車歴
この4両は老朽化により、新系列車の津軽キハ21形(NDC)の導入と振り替えで、1997年にキハ24021,24024が、2000年にキハ24022,24023が廃車となりました。
6.キハ24026+キハ24025 (金木:1988年5月)
キハ24025,24026(注2)は共に1975年に国鉄千葉気動車区からやって来た元キハ11形ですが、津軽鉄道が導入するにあたり、寒冷地仕様化とトイレ撤去を新潟鐵工所で行いました。導入後この2両はほぼ固定連結で使用されました。
7.キハ24025+キハ24026 (津軽中里:1988年5月)
(注2)キハ24000形(キハ24025,24026)の車歴
・津軽キハ24025、24056:195←国鉄キハ1131,1132:1956年東急車輛製
この2両は老朽化で、1990年に元国鉄キハ22形の導入によって廃車となりました。