ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第161話 1987年関東(常総) 気動車三昧(その9)

1965年になると、常総筑波鉄道は鹿島参宮鉄道と合併して巨大非電化私鉄の関東鉄道になりました。常総筑波鉄道時代からしばらく新車の導入がありませんでしたが、常総線の取手~水海道間の複線化を踏まえて車両の増備が必要となり、久々の新車?が登場します。

 

1.キハ803、キハ314 (水海道:1987年1月)

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 その新車?は、私鉄気動車103系とも言われたキハ310形です。

私にとっては、このあたりの新車から趣味的にどうでもよくなってきますが・・・。

この車両は、常総筑波時代の最終新車となったキハ900形からすでに14年経った1977年の導入なので、さすがにキハ900形の増備とはならず、全く新設計の電車風の車体となりました。

 

2. キハ314+キハ313 (水海道:1987年1月)

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キハ310形は誰が見ても新車ですが、 ところが実態は新車ではなく、元国鉄キハ10系(キハ16形、キハ17形)の名義を引き継ぐ改造車でした。要するに、車体は新製ですが 、臓物は国鉄気動車の廃車再生品ということで、手っ取り早く、安く仕上げた新車モドキです。

 

3.キハ316+キハ315 (水海道:1987年1月)

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 キハ310形は1977年から1979年にかけて8両増備され、基本は2連で使用されました。車歴については、第58話をご参照下さい。

見た目は元国鉄キハ10形の面影はなく、当初台車がDT19、TR49だったのでそれが唯一の名残でしたが、その後全車とも台車をTD22、TR51に振り替え、前照灯も左右の腰位置に移設して行き先表示を付けたので、キハ0形そっくりになりました。キハ310形以降の車体新製グループは第2の新系列気動車と位置付けされたようで、1990年代の車両体質改善後もこの車両はキハ0形と共に残存します。

 

4.キハ004+キハ003 (水海道:1987年1月)

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 キハ310形の次に登場したのはキハ0形(注1)です。

この車両は関東鉄道初の2両ユニット車(永久連結)で、1982年~1984年に導入された完全新製車?です。しかし実態は、新製車体に元国鉄キハ20系の廃車再生品を流用した新車まがいで、キハ310形と同じ轍の車両ですが、認可上は新製車ということで、一応新車?です。

(注1)キハ0形の車歴

関東キハ001+キハ002:1982年新潟鐵工所

関東キハ003+キハ004,キハ005+キハ006:1983年新潟鐵工所

関東キハ007+キハ008:1984新潟鐵工所

 

5.キハ006+キハ005 (水海道:1987年1月)

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 キハ0形はキハ310形キハ313以降の新造を手掛けた新潟鐵工所製です。この頃、日本車輌関東鉄道から離れてしまいましたが、きっと電車の方が忙しかったのでしょうか?逆にこれ以降、新潟鐵工所関東鉄道との関わりが深くなって行きます。

 

6.キハ008+キハ007 (水海道:1987年1月)

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 しかし、キハ0形はキハ900形ほどではありませんが、キハ310形のデザインをほぼそのまま踏襲した趣味的につまらない車両です。これからこの形態の車両が増えるのかと思うと、モチベーションが下がりました。結局キハ0形は2連4編成(8両)まで増備されました。

 

7.キハ007+キハ008 (水海道:1987年1月)

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 キハ0形は4編成増備され、とりあえず打ち止めでしたが、この頃の常総線は旧型気動車の老朽化が問題で、その代替車両をどうするか頭を痛めていたようです。当時国鉄はローカル線の廃止や第三セクター化で、キハ20系の廃車が出ていましたが、これを通勤車化するのは抵抗があり、また廃車発生品を流用したキハ0形の増備も厳しい状況でした。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」で、国鉄で余剰となるキハ30系に「白羽の矢」が立ちました。このあと、1990年代に入り常総線ではまさかの元国鉄キハ30系の乱入が始まります。