ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第274話 1987年蒲原:廃線跡を歩く

蒲原鉄道は、1985年3月31日に路線の大半である村松~加茂間を廃止し、その後は村松五泉間のわずか4.2kmの極小鉄道になってしまいました。部分廃止の日はわざわざ東京から撮影に出向きましたが、その後はご無沙汰していました。

1987年5月、就職して長岡で研修を受けている際に蒲原鉄道のことを思い出し、天気の良い休日に2年ぶりの廃線跡をブラブラ歩いてみました。

(1985年3月の村松~加茂間廃止時の様子は、第118話~第125話をご覧ください。)

 

1.モハ41 (五泉:1987年5月)

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 長岡から蒲原鉄道を訪問するには、以前は信越線の加茂まで行けば蒲原鉄道に乗ることができましたが、加茂~村松間がなくなってしまったので、新津、五泉経由となりかなり遠回りしなければなりませんでした。とりあえず、五泉を目指し、五泉から蒲原鉄道に乗車です。五泉ではいつもながらのモハ41が出迎えてくれました。

 

2.ED1 (村松:1987年5月)

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 五泉から乗車したモハ41はあっという間に終点の村松に到着です。まずは村松で車庫見学です。蒲原鉄道は、部分廃止時に古い車両を5両処分しましたが、それでも5両の電車と機関車1両を保有していました。路線長の割に車両が多い様でしたが、特に機関車のED1は全くの失業状態でした。

 

3.モハ71+モハ61 (村松:1987年5月)

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電車5両はモハが4両、クハが1両の陣容でした。この頃は、ラッシュ時に3連が運用されており、ラッシュ用の3連と閑散寺の単行を使い分けていたので5両必要だったようです。この時点の在籍電車は、モハ31、モハ41、モハ61、モハ71、クハ10でした。 

 

4.除雪車 (村松:1987年5月)

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 路線は短くても雪国なので、除雪車は欠かせません。この除雪車ラッセルとロータリーの両用車だったので、ED1の出る幕がありません。

 

5.モハ41 (村松:1987年5月)

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 僅か4.2kmの路線ですが、列車は結構頻繁に走っていました。村松五泉間は利用客もそこそこあり、この区間は廃止されずに残りました。

 

6.西村松方向を望む廃線跡 (村松~西村松:1987年5月)

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 さて、ここからが廃線跡探訪ですが、村松から廃線跡をちょっとだけのぞいたあとは、手を抜いて村松から大蒲原まで路線バスを使用しました。この頃は廃止区間を自社の路線バスが輸送を継承していました。

 

7.寺田方向を望む大蒲原駅廃線跡 (大蒲原:1987年5月)

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 実際の廃線跡探訪は、大蒲原からスタートです。

蒲原駅は駅舎とホームが残っていましたが、わずか2年で駅舎は廃墟化していました。廃線跡は架線やレールはすでに撤去されていましたが、まだ枕木はかなり残っていました。