2021-01-01から1年間の記事一覧
今回は箱根登山鉄道の沿線撮影についてです。これまでの写真を見て頂くとお分かりかと思いますが、撮影ポイントはほとんどありません。要は開けた場所がほとんどなく、どうしても列車のアップ写真になってしまうので、どこなのかさっぱりわからず、どこで撮…
この当時の箱根登山鉄道は、輸送力が限界の様でした。 単線であるが故に、列車本数を増やすことが出来ず、路線の制約から増結することも出来ません。辛うじて箱根湯本までは小田急の電車が乗り入れていたので何とかなっていた様ですが、観光シーズンの箱根湯…
箱根登山鉄道の話題は、第407話で1988年当時の貨物電車のム1の様子をお伝えしましたが、肝心な旅客車の話題にはほとんど触れず、それっきりとなっていました。1988年当時の箱根登山鉄道は新車の1000系が2編成導入されていましたが、旧型車であるモハ1形、モ…
今回も1994年3月に訪問した琴電の続きです。このシリーズは小刻みに投稿していましたが、今回が最後です。今回は本線撮影に出向く前に車庫で撮影した車両の様子をお伝えします。 まずは仏生山です。 1.950と1011の連結 (仏生山:1994年3月) 仏生山には、…
まだ3月でしたが、東京に比べて高松の日の入りは遅く、まだまだ撮影は可能でした。この日は東京ではなく、広島に戻るので日没までたっぷり撮影ができました。 1.870+750 (西前田~高田:1994年3月) この日は日中も870や750などの中堅中古車が運用に入っ…
1994年3月のある日、朝から本腰を入れて琴電琴平線の沿線撮影に出向きました。その様子は、第595話~第599話でお伝えしましたが、日中の琴平線は1070形や1080形の元京急電車ばかりで全く面白くなく、不完全燃焼でした。・・・で、もう帰る途中でしたが、やは…
毎度、富山地鉄のオマケは市内線の様子です。 この時も天気が悪く、時間つぶしの延長で南富山を訪問しました。 1.デ3533+デ3534 (南富山:1992年11月) まずは挨拶程度にこの2両の撮影です。もう11月なのでそろそろ冬支度の季節です。この電車は除雪列車…
今回は第587話に続く富山地鉄の、本線撮影の様子です。 以下8月の写真は、当日の朝から小口川第3発電所の資材運搬軌道を現地まで見に行った帰りに撮影したものです。その日は歩き過ぎて(前日も立山砂防の樺平まで歩いて往復)足が棒になっていましたが、変…
富山地鉄の稲荷町車庫は色んな車両が出入りするので飽きることがありません。 特にこの時は京阪から購入した車両の改造工事もオープンに実施されており、新旧の車両が同居していました。しかし、旧型車がめっきり少なくなってしまいました。 1.クハ173、ク…
1992年は立山砂防に3回も出向いたあおりで、北陸地方のローカル線を撮影する機会も多くなりました。特に富山地鉄は京阪3000系の導入で吊掛車の置き換えが進んでおり、立山砂防とセットで毎回撮影を行いました。 今回は第587話の続きで、1992年8月と11月の富…
大雄山線の走行撮影は3年半ぶりでした。このブランクの間に旧型車はめっきり減ってしまい、代わりに新鋭の5000系が増えました。 1.クモハ5005+モハ5006+クハ5503 (相模沼田~飯田岡:1992年4月) 当時の伊豆箱根鉄道は羽振りが良かったのでしょうか、大…
以前、第269話~第271話で1988年当時の伊豆箱根鉄道大雄山線の様子をお伝えしましたが、その後は近場だったにもかかわらず、さっぱりご無沙汰しており、その間にも新車はしくしくと増備されていたので、もう旧型車はなくなってしまったのかと思っていました…
今回は、ようやく黒部峡谷鉄道に乗車です。 しかし、この鉄道は運賃が非常に高い!。単なる時間つぶしなのに、終点の欅平まで往復すると当時でも2500円ほどかかりました。しかも駅の窓口で更に料金の高いリラックス車を勧められましたが、私の決断はオープン…
黒部峡谷鉄道の運行頻度は相当なものです。山彦橋梁に1時間もいれば、もういいと言うほど撮影ができました。もう撮影するものもありませんので撤収したいところですが、まだ昼前です。この日は天気の回復は見込めず、更なる時間つぶしのため、いよいよ黒部峡…
この日は、初めて黒部峡谷鉄道に乗ることにしましたが、その前に宇奈月にある山彦橋で列車撮影です。車両が小さいのでほとんどが望遠撮影となりましたが、天気が悪かったので露出が厳しく、ピントも甘い最悪の画像になってしまいました。 1.山彦橋を渡るDD…
黒部峡谷鉄道の車両は特殊限界の制約から生まれた大変興味深い面々でしたが、車両は徐々に進化していました。既にL型機は引退し、専用線時代の凸型機もほとんど走っている姿を見ることはできませんでした。 1.ED13、DD23 (宇奈月:1992年11月) 右側の箱…
1992年は立山砂防の撮影を中心に北陸地方のローカル私鉄へよく出向きましたが、いつも晴れているとは限らず、雨の日はどこかで時間つぶしをしなければなりませんでした。たいていは富山地鉄を乗り回したり、富山界隈をブラブラしていましたが、それだけでは…
岳南鉄道は東急5000系が導入されるまで、12両の電車が在籍していましたが、そのうち8両が元小田急電車で、この8両は5000系と入れ替わり、再就職のあてもなく全車が廃車となり、そのうち5両がダルマとなって残存しました。 1.ED402、モハ5002+クハ5102 (比…
この頃の岳南鉄道は、まだ貨物輸送主体の鉄道だったように思います。もっとも貨物輸送のために開業した路線なので当然です。しかし、国鉄の貨物合理化の煽りや荷主様の都合で、バブル期とは言え、かつて程の活気はありませんでした。 1.ED402 (比奈:19…
今回は1992年に初めて訪問した岳南鉄道です。 私にとって東海地方のローカル私鉄は、大井川鉄道以外ほとんど縁がありませんでした。理由は古い車両が走っていなかったからです。この当時は、静岡鉄道も遠州鉄道も立派な自社発注車で運行されていましたし、岳…
1992年のGWは近鉄北勢線と養老線を訪問し、帰りは大垣に出ました。そして、岐阜から豊橋までは名鉄を利用するため岐阜で下車しましたが、まだ時間もあるのでたまには岐阜市内線の電車でも見ようと車庫のある市ノ坪へ向かいました。 これまで岐阜と言えば名鉄…
1992年の正月も谷汲線詣に出向きましたが、実は一畑電鉄の帰り道でした。 正確には、年末から琴電~一畑~谷汲と渡り歩き、吊掛電車三昧でした。新年早々、金毘羅山にも出雲大社にも谷汲山華厳寺にも寄らず、大変ばちあたりではありますが、これも限られた日…
この日はもう旧型車は走らないと諦めていましたが、デハ23の運行を確認できたので、ずいぶんモチベーションが回復しました。そして、園~布崎間では、どうでも良い80系を何本か見送ってデハ23を待ちました。 1.デハ23+クハ101 (布崎~園:1994年4月) 夕…
一畑電鉄大社線は同じ車両のピストン運行なので2列車程度撮影すればもう十分です。その後は再び本線に戻って撮影ですが、こちらも車両がつまらないのでどうしようもありません。とりあえず、70系を撮影するため園(その)へ向かいました。 1.デハ23+クハ10…
1994年は仕事の関係で広島に滞在していたため休日を利用して西日本のローカル私鉄を彷徨していました。この年、3月末で野上電鉄がなくなると、琴電や一畑電鉄に出向く回数が増えました。今回は4月のある土曜日に広島からバスに乗り一畑電鉄を訪問した話題で…
今回は京福電鉄福井支社の盲腸線だった永平寺線です。 永平寺線は元々永平寺鉄道と言う、北陸本線の金津から永平寺までの私鉄でしたが、合併により京福電鉄の一員となりました。しかし、モーターリゼーションの影響で金津~東古市間が1969年の廃止され、なぜ…
京福越前本線の2日目も秋晴れの穏やかな日でした。これまでほとんど足が向かなかった京福電鉄福井支社ですが、2日間の撮影を計画したのは路線が長かったからです。予定では、初日は勝間方面、2日目は三国方面のはずでしたが、初日の勝山方面は疲労と時間切れ…
京福電鉄福井支社は、路線短縮されたとは言え全線を撮影するのは1日では厳しいです。特に沿線を歩いてロケハンしながらの撮影では、4,5日かかります。 この日は勝山~東古市間で撮影を行いましたが、この翌日も撮影が続きます。 1.モハ2202 (光明寺~下…
京福電鉄福井支社はかつては95kmにもおよぶ路線長がありました。しかし、モーターリゼーションにより、昭和40年代までに路線短縮を行い、その後も厳しい業況が続きました。何度も路線廃止や非電化などが模索されていましたが、結局は度重なる事故の末、2001…
今回は越前竹原から発坂へ向けて歩きながらの撮影です。 撮影する車両は元阪神電車ばかりで全く面白くありませんが、まあハイキングに来たと思えば腹も立ちません。 1.モハ2114 (越前竹原~小舟渡:1992年11月) 越前竹原付近は線路沿いに民家が続きます…