ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第677話 1994年高松琴平:やはり旧型が気になる(その3)

今回も1994年3月に訪問した琴電の続きです。このシリーズは小刻みに投稿していましたが、今回が最後です。今回は本線撮影に出向く前に車庫で撮影した車両の様子をお伝えします。

 まずは仏生山です。

 

1.950と1011の連結 (仏生山:1994年3月)

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 仏生山には、一番気になる車両がいました。それは元国鉄オハ31形の台枠流用で琴電が自社製造した950です。この時点でこの車両がなぜ残っていたのかわかりませんが、コンビが組めずに1両だけあぶれてしまった1017のお相手として居座ってしまったものと思われます。普段は朝のラッシュ時だけ仏生山~高松築港間の1往復のみの限定運用なので、まともに撮影できる機会がほとんどありません。しかも編成の中間に挟まれており、ご覧の通り車庫内でも撮影が厳しい存在でした。

 

2.950 (仏生山:1994年3月)

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 この日は、留置線が空いていたので、中間に挟まる950を撮影できました。前面が隠れていますが、台枠端梁にはオハ31の名残であるアンチクライマがしっかり見えています。台車もこのスタイルには似合わない旧型客車ぽいMT-20Bを履いていました。

 

3.950の車内 (仏生山:1994年3月)

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 そして、950の車内です。長いロングシートは如何にもラッシュ用です。車内は他の2ドア車と同じような感じですが、車端の運転室がかつてオハ31時代のデッキだった部分です。車体は新製されましたが、車端部は台枠の都合で少し絞られています。

 

4.1015 (仏生山:1994年3月)

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 1015が検査入場していました。この車両は元三岐鉄道のカルダン車でした。琴電移籍時に吊掛車にされてしまいましたが、再びカルダン車に復活した車両です。元三岐の車両はなぜかこの車両だけがカルダン車に戻り同形車の中では一番長生きします。

 

5.860 (瓦町:1994年3月)

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 こちらは、瓦町の留電線です。ここは普段は日中走らない車両の寝床になっていましたが、この日は860が寝ていました。今回の撮影では長尾線で870の走行が撮れましたが、この860は870の兄弟車両です。870は高松築港寄りの前妻が2枚窓の非貫通ですが、860は両妻とも貫通となっています。

 

6.325 (瓦町:1994年3月)

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 留電線には琴電生え抜きの325もいました。この車両は走行写真はいっぱいありますが、意外にも形式写真はほとんどありません。適当に撮った写真ですが貴重な形式写真です。

さて、この時琴平線に残っていた吊掛車は、1013+1014、1017+950、810+820と増結車の1061~1063だけです。今回の撮影では琴平線の吊掛車が風前の灯状況であることを認識しました。このあと、この年の7月にダメもとで再度琴平線の撮影に出向きます。