ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第652話 1992年京福(越前):元気だった頃(その3)

京福電鉄福井支社はかつては95kmにもおよぶ路線長がありました。しかし、モーターリゼーションにより、昭和40年代までに路線短縮を行い、その後も厳しい業況が続きました。何度も路線廃止や非電化などが模索されていましたが、結局は度重なる事故の末、2001年5月に運行停止を余儀なくされ廃止届が出されました。これで京福電鉄福井鉄道部(旧福井支社)の路線は消滅しましたが、その後鉄道設備は、新生の「えちぜん鉄道」に引き継がれて2003年に完全復活します。(永平寺線は廃止)

 京福電鉄福井鉄道部としては最悪の幕引きとなりましたが、この1992年頃は「一番元気だった頃」ではなかったかと思います。

 

1.モハ2204 (保田~発坂:1992年11月)

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 モハ2201形(注1)の種車となった元阪神モハ3301形は、元々本線の特急運用にも充当された両運の赤胴車でしたが、ここではノンビリしたものです。この車両は2扉化されず、ほぼオリジナルの外観で使用されました。

(注1)モハ2201形の車歴

京福モハ2201~2204←阪神モハ3303,3303,3301,3304:1958年川崎車輌

 

2.モハ2116 (保田~発坂:1992年11月)

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 この日は元ジェットカーの吊掛車であるモハ2116が元気に走っていました。当時、この類の元阪神電車琴電にもいました。いずれもジェットカーモドキの吊掛車でしたが、導入された頃はまだカルダン車をカルダン車として運用できなかった地方鉄道の事情がいろいろあったようです。

 

3.モハ2116 (保田~発坂:1992年11月)

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 このモハ2101形の種車になったのは元阪神モハ5231形とモハ5251形でしたが、いずれも片運車だったので、両運化された車両は連妻側に非貫通の運転台を新設しました。このモハ2116もそのうちの1両ですが、この時点では非貫通面が貫通化されていました。

 

4.モハ2116 (保田~発坂:1992年11月)

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 こちら側が元連妻で再び貫通化された妻面です。ちょっと変な顔をしています。

モハ2101形は誰が見ても元阪神電車ですが、京福電鉄福井支社導入後の認可上の名義はかなり複雑というか非現実的です。 モハ2101形の車歴については、第541話をご覧下さい。

 

5.モハ2114 (轟~光明寺:1992年11月)

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 続いて撮影場所を光明寺に移動しました。この場所は轟~光明寺間ですが、この辺りは民家が少なく、九頭竜川河岸段丘を山際に沿って線路が敷設されています。
 

6.モハ2202 (光明寺~下志比:1992年11月)

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 この場所は光明寺~下志比間です。この辺りも河岸段丘地帯で、民家と農地が混在しています。ロケーション的には春の田植えの時期が良いと思います。