ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第690話 1992年近鉄(養老):近鉄養老院再訪問

1992年5月のGWに初めて近鉄養老線で活躍する元名古屋線特急車の余生を撮影しました。その時の様子は第529話~第532話でお伝えしましたが、養老線はまさに元特急車達の養老院そのものでした。その後、元特急車達はいよいよ引退することになり、1992年9月に再び養老線を訪れました。今回は元名古屋特急の現役最後の頃の様子です。

 

1.ク559+ク592+モ432 (桑名:1992年9月)

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まずは桑名駅に留置中の車両です。この日はク559と元名古屋線の特急車だったク592+モ442の3連が留置されていました。これらの写真は、JRのホームから撮影しました。JRのホームからは、午前中は順光で留置車両の側面が撮影できました。

 

2.ク559 (桑名:1992年9月)

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 ク559は名古屋線の輸送改善のため、旧型車の機器流用で車体新製された元6441系です。この電車のスタイルはひと昔前の一般車の原型ですが、20m3扉車なので、少々違和感ありでした。しかし、その違和感が養老線の車両らしさでもありました。

 

3.ク592 (桑名:1992年9月)

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 中間に挟まれたク592です。2連窓が元特急車の名残りです。種車となった6431系は名古屋特急の後期増備車で、それまでの2段上昇窓から近代的な車体となりました。なお、一般車化の際に421系は転換クロスシートが残されましたが、この431系はロングシート化されました。

 

4.ク592+モ432 (桑名:1992年9月)

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 431系の固定連結部です。片引きのドアはオリジナルです。連結面の屋根には緩いカーブがついていますが、この部分には特急時代に冷房装置が搭載されていました。一般車に格下げとなった当時は、まだ冷房装置は高級品だったので格下げと同時に撤去されてしまいました。少なくとも、この撮影を行った頃は、一般車も当たり前の様に冷房化される時代になっていましたが、それでもこの車両の冷房は復活せずに最後を迎えました。

 

5.ク560+ク572+モ422 (多度:1992年9月)

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 3連の桑名寄りは増結車のク550形が連結されるので、一般車と元特急車の凸凹編成が見られました。しかし、これらの車両が配属される前は、変な湘南型だったモ5800形などもっと強烈な車両がいました。

 

6.モ601+サ551+ク501 (大垣:1992年9月)

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 そしてこの時、すでに冷房付きカルダン車の600系が導入されていました。私にとってはどうでも良い車両ですが、この車両は元名古屋線の1600系に元南大阪線のサ6150形を挟んだ3連です。養老線では伝統的に千の位を削って、3桁形式の600系となりました。ところで、この時点で3連のカルダン車がもう1本導入されていました。もう1本は600系ではなく、620系と称し、これは元南大阪線6000系でした。600系と620形は何が違うのか?私には大近鉄の車両の事などさっぱりわかりませんでしたが、少なくとも外観はほとんど同じです。ただし、名古屋線出身の600系は元々標準軌の台車を履いていたので、養老線へ転籍時に狭軌用の台車に履き替えましたが、南大阪線出身の620系は元から狭軌台車なので台車を履き替えずに養老線にやってきました。