このシリーズの最後は井川線の車両です。
この頃、アプト区間が開業した後に井川線の車両がどうなるのか気になっていました。
アプト区間は電化されますが、井川線の大半は非電化のままであり、DD200形はまだ新しいのでDD200形の牽く客車列車は残るはずですが、客車がどうなるのか心配でした。
(井川線車両の車歴は第63話をご覧下さい。)
1.Cスハフ6 (千頭:1989年12月)
特に、オープンデッキのCスハフ1形はアプト区間に耐えうる車両なのか?
もともとが作業員輸送用なのでロングシートであり、とても観光用じゃーありませんが、出来れば残ってもらいたい車両でした。
2.Cスハフ4 (千頭:1989年12月)
結局、Cスハフ1形はアプト区間開通後も残りました。ロングシートなのでさすがに多客時の波動輸送用になってしまいましたが、当時でもこんな車両は珍しく、逆にうけていたようです。
3.Cスハフ7の車内 (千頭:1990年1月)
Cスハフ7の車内です。屋根が低く、吊り手もありません。天井に手すりが付いていますが、大人が立つと顔が網棚の上に出てしまい、車窓が見えません。垂木もむき出しで貨車の車内のようです。車端には板で仕切られた車掌室がありました。これがスハフであるゆえんですが、ずいぶん酷な車掌室です。座席は一応モケット張りですが、以前は板張りのベンチシートだったそうで、長時間乗っていると痔になりそうな車両でした。
4.Cスロニ202 (千頭:1989年12月)
Cスロニ200形は荷物室合造の客車でした。荷物室といっても客室がせまいので乗客の荷物置き場で、写真の左側の鉄板?で囲まれたスペースが、元は吹きさらしの荷物室でした。しかし観光客が増えたので、荷物室を囲って窓を付け、簡易的な客室として使用されていました。
5.Cスロフ306+Cスロフ301 (千頭:1990年1月)
Cスロフ300形は比較的新しいクロスシート車でウエバスト式のヒーターを備えたまともな車両です。しかし、貨車改造なので足回りは古典的な軽便客車の様なアーチバー台車です。この車両は1962年に4両が日本車輌で製造された以降、1978年~1991年にかけて10両が自社および大鉄技術サービスで製造され、この内初代Cスロフ310は、クハ601に改造されました。また、長期にわたる製造のため、製造時期の違いにより側窓構造などが異なり、Cスロフ301~304はバス窓タイプです。
前回訪問の1985年以降の車両増備はCスロフ309が1986年に1両だけCトキ211から自社で改造されて増備されました。
6.Cスロフ2 (千頭:1990年1月)
Cスロフ1形は専用線時代の来客用の貴賓車でした。貴賓車といってもただのトロッコ客車以外の何物でもありません。この車両も多客時には営業に駆り出されるそうで、この車両で井川まで1時間半の乗車はかなりキツイです。
7.Cスロフ2の車内 (千頭:1990年1月)
Cスロフ2の車内はスハフ1形よりもさらに狭く密室でした。それでも導入時から座席はモケット張りでスハフ1形よりは高級車でした。
この車両もアプト化でこの先が気になるところでしたが、なにより車両が小さすぎてアプト化以前の問題でまもなく廃車になりました。
その後、この年の秋にアプト区間が竣工し、井川線は新装開店しました。しかし、その後は大井川鉄道に撮影に行っても、井川線には全く縁がなく、まだ一度もアプト区間を乗っていません。