ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2019-01-01から1年間の記事一覧

第250話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その7)

「運ぶものがない!!」 まさにこの機関車たちの叫びです。 1.ED201 (若柳:1988年5月) 若柳の車庫にはED200形が3両留置されていました。 この機関車たちは、細倉鉱山が閉山された1987年の貨物輸送廃止に伴い、実質失業となりました。 2.ED201 (若柳…

第249話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その6)

今回は若柳車庫の様子です。 在籍車両は半年前と変わっていませんが、ここに居たはずのED351がなぜか石越に移動していた程度の変化です。 1.M181 (若柳:1988年5月) 乗客が減少し、大型車の出る幕も減って来ました。このM181は18m車なので、15m車である…

第248話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その5)

午後は移動して沢辺付近で撮影を行いました。 沢辺のあたりも田植えが始まっていました。列車は真っすぐな直線区間を高速でぶっ飛んで来ます。 1.M153 (沢辺~津久毛:1988年5月) ここは国道4号線が栗原電鉄をオーバーパスする築堤で、結構有名な撮影地…

第247話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その4)

鶯沢近くの田園地帯で水面に映る電車の撮影を続けました。 霞のかかった山並みが眠気をそそります。昨晩の夜行列車の疲れが出てしまい、撮影の合間に、畦道でうたた寝をしそうなほど心地良い日でした。 1.M152 (松尾~鶯沢:1988年5月) しかし、居眠りし…

第246話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その3)

この日は天気も穏やかで、半年前にも撮影を行った鶯沢に向かいました。 鶯沢は仙台平野の北辺に位置し、この辺りまでが広大な田園地帯ですが、山並みが近く、新潟交通とは違った田園風景が展開していました。 1.M152(鶯沢~駒場:1988年5月) まずはお決…

第245話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その2)

石越に到着したのは早朝でした。栗原電鉄は始発前だったので、まだ電車はいませんでした。時間つぶしに、かつての貨物ヤードでED351などを撮影していると、若柳の車庫から出庫してきた回送が到着しました。この回送が折返し細倉行きの始発電車になります。 …

第244話 1988年栗原:運ぶものがない!!

1988年のGWは東北地方のローカル私鉄早回り撮影を行いましたが、その一番最初の訪問は栗原電鉄でした。 栗原電鉄には、この前年の秋にも訪問しており、わずか半年後の訪問となりましたが、その理由は、栗原電鉄の春の光景を撮影したかったからです。栗原電鉄…

第243話 1993年高松琴平:雨の琴電そして京急増殖(その3)

この頃の長尾線と志度線には、まず京急1000系の導入はあり得ませんでした。その理由は、この両線の線路事情が大型車の入線を拒んでいたからです。しかし、この両線には元京急230形だった30形が大量導入されており、こちらも京急長尾・志度線の様相を呈してい…

第242話 1993年高松琴平:雨の琴電そして京急増殖(その2)

琴平線への元京急1000系導入は、1988年には12両(6編成)に達します。 この年のGWに訪問した際には、元京急1000系導入で玉突き廃車となる1020形の一部が早くも編成を解かれて仏生山の留置線に安置されていました。 1.1036,1035,1034,1033の安置 (仏生山:…

第241話 1993年高松琴平:雨の琴電そして京急増殖

1993年は年間を通して、撮影の度に雨に降られました。とにかく天気が悪かったです。 正直私は"晴れ男"のつもりでしたが、日頃の行いが悪かったのか、この年の撮影はことごとく雨に降られました。 1993年のGWは琴電、野上電鉄、南海貴志川線、立山砂防軌道、…

第240話 1988年新潟交通:ああ雪国!!(その4)

新潟の冬もあと1ヵ月の辛抱と言ったところですが、この日は、この冬初めて雪晴れの撮影が叶いました。 1.モハ19 (灰方~燕:1988年2月) 3連は行ってしまいましたが、しばらく同じ場所で撮影を続けました。 この日はモハ19が燕側の区間運用に入っていま…

第239話 1988年新潟交通:ああ雪国!!(その3)

新潟の冬は、いつも悪天候で撮影を断念して帰る日もしばしばありましたが、3月が近づくと意表をついて晴れる日もありました。 そして、時には待望の雪晴れ写真が撮れました。 1.モハ24 (灰方~燕:1988年2月) 天気予報では珍しく朝から晴れとのことで、…

第238話 1988年新潟交通:ああ雪国!!(その2)

この年は意外と雪の少ない冬でした。 これなら雪原で走行撮影も可能だろうと、雪をあなどった私はバカでした。この冬は雪の洗礼をこれでもかというくらい浴びました。 1.クハ37前妻面 (東関屋:1988年1月) クハ37は運用されることもなく東関屋の側線で雪…

第237話 1988年新潟交通:ああ雪国!!

1987年の秋から私は仕事の都合で新潟で暮らすことになり、初めて雪国での冬越しとなりました。 その秋頃の様子は第104~111話でご紹介しましたが、新潟の安定した天候は11月まででした。12月になると天候は豹変し、いよいよ雪国モードに入り、太平洋側で育っ…

第236話 1988年十和田観光:観光という名のローカル線(その3)

十和田観光電鉄の訪問は、この1988年4月が初めてでしたが、十和田観光電鉄の走行写真をあまり見たことがなく、どこで撮影すればよいか全く情報もないまま七百付近で走行撮影をしました。しかしこの付近は雑木林の中を線路が通る、非常に撮影し辛い場所でした…

第235話 1988年十和田観光:観光という名のローカル線(その2)

十和田観光電鉄は、1951年の改軌電化時に自社発注の電車でのスタートしましたが、1988年時点では、その頃の車両は電気機関車のED301を除きすでに存在していませんでした。初代の車両に代わり主力となっていたのが東急電鉄からの譲渡車両でしたが、自社発注の…

第234話 1988年十和田観光:観光という名のローカル線

1988年のGWは、東北地方のローカル私鉄早回りを行いました。 南から栗原電鉄、十和田観光電鉄、南部縦貫鉄道、弘南鉄道、津軽鉄道、小坂鉄道と回りましたが、今回はその道中の十和田観光電鉄です。 ところで、十和田観光電鉄が2012年に廃止され、まだ記憶に…

第233話 1990-91年有田:バブル期の小鉄道(その2)

有田鉄道も紀州鉄道同様に、4年ぶりの訪問でした。前回訪問の様子は、第48話をご覧ください。 有田鉄道は、この4年間の車両の出入りは全くないばかりか、車両の改造も全くありませんでした。しかし、乗客は減る一方で、日中の列車は徐々にバスに振り替えられ…

第232話 1990-91年紀州:バブル期の小鉄道

1990年2月に大阪出張中の休日を利用して紀州鉄道を訪問しました。 前回訪問の1985年12月から4年ぶりとなります。前回訪問の様子は第46,47話をご覧ください。 この頃、世の中はバブル期絶頂でした。地方都市もバブル景気の恩恵で少しは景気が良かったはずです…

第231話 1986年松本:アルピコじゃなかった頃(その3)

この時、松本で一泊しましたが、翌日も天気が良くありませんでした。 1.モハ10形2連 (新村:1986年8月) 天気が悪いので、気合が入りませんでした。とりあえず新村車庫で車両の撮影をしましたが、あまりにも気合が入らず、撮影した車両の番号も記録せずの…

第230話 1986年松本:アルピコじゃなかった頃(その2)

松本電鉄の路線は波田を過ぎると急に過疎地帯に入ります。 民家も少なく輸送需要も極端に減り、上高地の有無には関係なくこの区間は廃止となってもおかしくない感じでした。 1.モハ10形2連 (渕東~波田:1986年8月) 上高地線は、松本から波田あたりまで…

第229話 1986年松本:アルピコじゃなかった頃

1986年8月は甲信地方のローカル私鉄早回りを行いました。 先に第188~190話で富士急行の話題を報告しましたが、今回はその続きとなります。富士急行まではなんとか天気はもちましたが、松本に来ていよいよ雨となりました。 1.モハ10形 (新村:1986年8月)…

第228話 1986年福井:惰性の北陸早回り(その3)

1986年の北陸地方ローカル私鉄早回りも、とりあえず福井まで行ってみました。 とは言うものの、更に気合が入らず、さらっと覗いただけでした。しかし、前年にはいなかった元静岡鉄道の300形であるモハ300形が急行専用車として入線しており、車両の動向に変化…

第227話 1986年北陸(石川):惰性の北陸早回り(その2)

新西金沢でレアな車両を撮影したあとは、いつ廃止になるのか気になる金名線の存続区間に向かいました。 この日は、朝は晴れましたが、その後は晴れたり曇ったりのはっきりしない天気となりました。秋の北陸地方は天気が変わりやすく、週間予報で計画をたてて…

第226話 1986年北陸(石川):惰性の北陸早回り

第191~194話では、北陸地方のローカル私鉄早回りの富山地鉄の話題をご紹介しましたが、今回はその続きの北陸鉄道と福井鉄道の話題です。 まずは北陸鉄道ですが、この撮影旅行は前段の立山砂防で燃え尽きた感じだったので、この先は惰性の早回りで、ほとんど…

第225話 1987年茨城交通:恥ずかしいCI化(その5)

この日は天気も良く、ケハ601の走行撮影も出来て、すっかり筑波鉄道のことを忘れて湊線の撮影に没頭してしまいました。 1.キハ222 (中根:1987年3月) 非電化私鉄は架線がないので、スッキリした写真が撮れます。 この日、日中の単行運用はケハ601とこの…

第224話 1987年茨城交通:恥ずかしいCI化(その4)

ところで、この日は何かに導かれて那珂湊にたどり着いたわけですが・・・ いつも那珂湊に居るはずのケハ601が見当たらず、もしやと思い本線に出てみました。 1.ケハ601 (殿山:1987年3月) ケハ601は、どこを走っているのかわからなかったので、那珂湊に近…

第223話 1987年茨城交通:恥ずかしいCI化(その3)

1987年3月には、いよいよ筑波鉄道が廃止されるため本腰を入れて筑波鉄道を撮影するため、いつものバイト先の友人と3日間かけて車で撮影を行いました。 しかし、やはり車は行動性が良く、実際は常磐線沿線のローカル私鉄早回りとなり、筑波鉄道以外に関東鉄道…

第222話 1987年茨城交通:恥ずかしいCI化(その2)

さて、湊線の車両がアメリカン化される前に、常磐線モドキカラーの見納め撮影をしなければなりません。一仕事増えてしまいました。 暇な学生身分もあと2か月を切りましたが、就職までに、この年の3月末で廃止となる筑波鉄道の最後の撮影、関東鉄道常総線の雑…

第221話 1987年茨城交通:恥ずかしいCI化

1987年の2月は就職前の最後の悪あがきで、常磐線沿線の非電化私鉄を彷徨していました。その中で一番ショックだったのが茨城交通湊線でした。 茨城交通はなんだかんだ訪問しており、1985年、1986年の様子は第35,36,68話でご紹介していますが、今回は車両塗装…