ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第237話 1988年新潟交通:ああ雪国!!

1987年の秋から私は仕事の都合で新潟で暮らすことになり、初めて雪国での冬越しとなりました。

その秋頃の様子は第104~111話でご紹介しましたが、新潟の安定した天候は11月まででした。12月になると天候は豹変し、いよいよ雪国モードに入り、太平洋側で育った私にとっては理解できない世界となりました。とにかく晴れません。常に寒く、湿っぽく、冬の日本海を見ていると空も海も灰色で最低の気分になります。休みの日など、会社の寮では皆布団にくるまり、食事とトイレ以外は部屋に閉じこもって春を待ってる「ミノムシ族」も少なくありませんでした。

 

1.モハ16、モハ24 (白根:1988年1月)

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 そんな最低最悪の環境に耐えきれず、私は新潟交通の電車を追い掛けていました。どんなに天気が悪くても寮に居るよりはましです。しかし、冬の新潟交通は過酷でした。

 

2.クハ37、クハ21 (東関屋:1988年1月)

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 雪が降った週末に、東関屋を訪問しました。

構内は程よく除雪されており、電車も淡々とダイヤ通り走っていました。燕から来た電車には屋根に積もった雪が妻面に垂れ下がり結氷していました。

 

3.雪の東関屋構内全景 (東関屋:1988年1月)

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 車庫内にはいつもと同じように電車が昼寝していました。モハ2220形にとっては、小田急時代はこんな環境じゃなかったので、辛い新潟の冬だったと思います。実際、前面の貫通扉からすきま風が吹き込み寒かったようで、のちに貫通扉を塞いでしまいました。

 

4.クハ36+モワ51 (東関屋:1988年1月)

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 クハ36は、雪帽子を被って鎮座していました。

このクハ36は専ら朝の3連用でしたが、しばらくこの場所に留置されており、先行きが心配でした。

 

5.クハ36+モワ51 (東関屋:1988年1月)

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 恐らく、次に廃車となるのはこのクハ36かクハ37と思われましたが、この2両は仲良く1989年12月に廃車となりました。

 

6.モワ51+クハ36 (東関屋:1988年1月)

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 車庫にはモワ51が大きな雪掻きを装着してスタンバイしていましたが、レールに積もった雪を見るかぎり走った様子もなく、この程度の雪では動じません。