ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1163話 1995年新潟交通:日車標準タイプの牙城(その3)

新潟交通との付き合いは1980年代からです。1987~88年頃は長期出張で新潟に住んでいたので、その頃は最も精力的に新潟交通の撮影をしていましたが、越後らしい風景に拘っていたので撮影は燕側に集中しており、新潟側はほとんど写真がありません。

 

1.モハ12 (東関屋~東青山:1995年9月)

この頃のモハ12は広告電車ではありませんでした。オリジナル塗装なので撮影に気合が入ります。ところで、この場所からの撮影は、この日が初めてでした。厳密に言えば、対岸から夕方に撮影をしたことはありましたが、この場所は初めてです。

 

2.モハ12 (東関屋~東青山:1995年9月)

この場所は見通しが良く、側面も狙えたので、3連を撮らなかったのは不覚でしたが、この場所以上に燕側は魅力的だったわけです。やはりこの電車は、マンションをバックにするよりも、広大な田園地帯の中で撮るのが相応しいです。

 

3.モハ18+モハ11 (東関屋~東青山:1995年9月)

2連のジャスコ電車がやって来ましたが、これは車庫にいた2連ではなく、モハ18+モハ11でした。後部のモハ11はパンタを下げてトレーラー扱いです。

 

4.モハ18+モハ11 (東関屋~東青山:1995年9月)

この写真は連写ではなく、折り返しの列車です。この列車も2連なので、ラッシュはまだ続く様です。以前の新潟交通は、モハ同士の2連は滅多に走りませんでしたが、この頃は当たり前になっていました。

 

5.モハ25+モハ21 (東関屋:1995年9月)

本線運用の列車を一通り撮ったので、再び車庫に戻りました。まだラッシュが終わっていないので、車庫に戻ってきた車両はいません。しかしながら、旧態然としたクハやモハ16が淘汰されて、つまらない路線になってしまいましたが、気が付けば日車標準タイプがいるの唯一の路線になっていました。

 

6.モワ51 (東関屋~東青山:1995年9月)

この後は、電車に乗って白根方面に向かいます。どこで撮影しようか悩みましたが、とりあえず木場へ・・・・。この後の様子は別途お伝えします。