ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第239話 1988年新潟交通:ああ雪国!!(その3)

新潟の冬は、いつも悪天候で撮影を断念して帰る日もしばしばありましたが、3月が近づくと意表をついて晴れる日もありました。

そして、時には待望の雪晴れ写真が撮れました。

 

1.モハ24 (灰方~燕:1988年2月)

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 天気予報では珍しく朝から晴れとのことで、この日も半信半疑、越後線に乗って朝から3連を狙いに行きました。

予報通り快晴となりました。こんな日は一冬に数えるほどしかありません。

 

2.モハ19 (燕~灰方:1988年2月)

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 秋に撮影した写真と全く同じ場所ですが、雪が積もると別世界です。広告電車なのが残念ですが、せっかくの雪晴れなので無駄にはできません。

「大通りニュータウン」しっかり撮影しました。

 

3.モハ14+クハ36+クハ46 (灰方~燕:1988年2月)

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 雪晴れの弥彦山をバックに待望の3連がやって来ました。

この1枚で苦難の新潟生活も帳消しです。しかし、この様な写真が撮れたのは一冬でこの日だけでした。なかなか現実は厳しかったです。

 

4.モハ14+クハ36+クハ46 (灰方~燕:1988年2月)

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 200mmのズームレンズを付け、息を止めて気合のハンド・ドライブで連写です。この3連は戻りの燕行きです。実質クハの回送みたいな列車でガラガラです。

 

5.クハ46+クハ36+・・・ (燕~灰方:1988年2月)

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 この日は土曜日でしたので、3連とは言うものの乗客は少なく、先頭のクハ46の1両だけに乗客を乗せていました。燕に到着後、クハ2両は月曜日の朝までお休みです。

 

6.クハ46+クハ36+モハ14 (燕~灰方:1988年2月)

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 3連の中間にはクハ36が連結されていました。何とか現役で頑張っていましたが、その後新潟交通は、乗客の減少に伴い余剰車となった、このクハ36とクハ37を1989年12月に廃車にしました。その頃から新潟交通には暗雲が漂って来た感じがし、やがて部分廃止へと向かいます。