ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第593話 1991年新潟交通:五月晴れの越後平野(その3)

新潟交通の前回の撮影は1988年でした。よって、3年ぶりとなりますが、新潟交通はこの間の1989年に白山前~東関屋間と、月潟~燕間の部分廃止を表明しました。当初の計画では1991年春に廃止とのことでしたが、折り合いがつかなかったのか廃止は延期となり、1991年5月時点でも存続していました。

 

1.モハ11 (灰方~燕:1991年5月)

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 燕行のモハ11が単行でやって来ました。単行ですがラッシュ時なので、そこそこ混んでいるようです。しかし、この程度の旅客輸送量では成り立たないと言うことです。

 

2.モハ11 (灰方~燕:1991年5月)

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 この時点では、まだ1986年改正のダイヤが維持されており、列車本数も結構ありました。しかし、1991年7月のダイヤ改正ではかなりの列車本数が削減され、いよいよ利用しにくくなりました。特に月潟~燕間は完全に店じまい態勢でした。

 

3.モハ11 (灰方~燕:1991年5月)

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 折返しの白山前行のモハ11です。場所を少し移動して真横から狙いました。

そろそろラッシュも終わりなのか、折返しも単行でした。

 

4.クハ48+モハ24 (燕~灰方:1991年5月)

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 続いて、燕行きの2連が来ました。車体広告のないモハ24です。

先程のモハ11が単行だったので、また単行が来るのかと思い、ズームレンズで真横から狙っていたので、2両が収まり切るかあせりましたが、なんとか収まりました。

 

5.モハ24+クハ48 (灰方~燕:1991年5月)

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その折返しの白山前行は、クハを外すのかと思いましたが2連でした。やはり車体広告がない2連は様になります。

 

6.モハ24+クハ48 (灰方~燕:1991年5月)

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 この頃は、まだ平日の朝に3連の運用は残っていたようで、クハも1989年に廃車されたクハ36,37以外は全車健在でしたが、翌年3月に白山前~東関屋間の軌道線が先に廃止されると、3連がなくなりクハに余剰車が発生しました。