ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第594話 1991年新潟交通:五月晴れの越後平野(その4)

この日はラッシュも終わり、単行電車の往来のみとなりました。

もう少し撮影したら終わりにして、西長岡へ越後交通をのぞきに行くことにしました。

 

1.モハ12 (灰方~燕:1991年5月)

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 灰方~燕間の撮影は、このモハ12で打ち止めです。この後は灰方駅の方に向かいました。

 

2.モハ21 (灰方:1991年5月)

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 灰方駅の周りは集落になっており、電車は集落を通り抜けます。田園地帯の灰方~燕間とは違った趣きです。

 

3.モハ21 (小中川~灰方:1991年5月)

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 六分行の区間列車がきました。この列車はいわゆるラッシュ後の「お買い物列車」ですが、悲しくなるほどガラガラです。

 

4.モハ21 (小中川~灰方:1991年5月)

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 北陸自動車道の築堤から区間列車を撮影して撤収です。この後、西長岡へ移動ですが、無謀にもここから三条燕インターまで歩きました。タクシーなら10分も掛かりませんが、タクシーなど走っていません。よって歩きましたが1時間ほど掛かりました。そして三条燕から例の長岡行の高速バスに乗りました。

 

5.平成3年(1991年)7月1日改正の時刻表抜粋<下り>

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 最後は、この年の7月に改正された時刻表です。月潟~燕間はそれまで列車本数が平日23本でしたが、この改正で16本となりました。そして、燕~灰方間は通学列車を除くと、14時台の列車の後は16時台まで2時間ほど列車がありません。その後1992年9月のダイヤ改正では更に月潟~燕間の列車本数は減り、1993年7月末に月潟~燕間は廃止となります。

月潟~燕間はこの時点から2年程存続しますが、この後はなかなか新潟交通に出向くチャンスがなく、最終日にあわてて出向きましたが、あいにくの雨で、弥彦山をバックに走る列車の撮影はこれが最後となりました。