ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第714話 1993年新潟交通:軌道線亡き後(その2)

久々の新潟交通は、東関屋に続いて燕です。

この日は会社の同僚の車でドライブを兼ねて、一日中マイナーな鉄道車両を見て回りました。新潟交通東関屋車庫→新潟臨海藤寄車庫→赤谷興産のナロー→安田記念館の蒲原モハ51→新潟交通燕駅の留置車両と言ったところです。

 

1.クハ50+クハ48+クハ46 (燕:1993年4月)

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 東関屋の車庫にはクハ47しかいませんでしたが、その他のクハはすべて燕にいました。見た感じ、なんとなく使われていない様子です。

 

2.クハ50 (燕:1993年4月)

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 クハ50は前面の雨樋がすでに朽ちていました。どうみても廃車体です。こういう車両は使わなくなると、あっと言う間に朽ちてしまいます。

 

3.クハ49 (燕:1993年4月)

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 クハ49は多少はマシでしたが、使用されているのか?

 

4.クハ45 (燕:1993年4月)

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 クハ45は、使われている感じがしましたが・・・。

軌道線廃止後、朝の3連がなくなったので、大部分のクハは運用を離脱しました。そして、運行本数も削減されたため、余剰となったクハは整理されて、2連運用はモハ同士の連結が増えました。

 

5.モハ16 (燕:1993年4月)

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 失業したクハに紛れて、なんとモハ16も・・・・。まだ廃車ではありませんが、すでに前照灯が外されており、もう復活の見込みはありませんでした。

結局この時点では、どの車両もまだ廃車になっていませんでしたが、実態は廃車のようなもので、まもなく月潟~燕間が廃止されると、そのタイミングで一気にモハ16、クハ47~50が廃車となりました。残ったのはクハ45,46の2両でしたが、クハ45は1993年12月に廃車され、唯一1両残ったクハ46は、新潟交通全廃となる1999年4月まで生き延びました。

 

6.平成4年(1992年)9月7日改正時刻表

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 この時刻表は軌道線の廃止後に見直されたものです。今回の訪問時はこのダイヤで運行されていました。廃止協議中の燕側の列車本数は激減していますが、それでも新幹線との接続が記載されています。存続する東関屋~白根間の列車本数も減っており要注意です。そして、この1993年7月末で月潟~燕間が終焉を迎えます。