新潟交通の話題は、当ブログ第591話~第594話で1991年5月の様子をお伝えしましたが、その後は仕事の都合で新潟交通を訪問する機会がなく、気が付けば1993年になっており、このブランクの間に白山前~東関屋間の軌道線が廃止されてしまいました。何とも無念ですが、今回は軌道線亡き後、その後の車両の状況を確認するために久々に訪問した新潟交通の様子をお伝えします。
1.東関屋構内 (東関屋:1993年4月)
まずは起点となった東関屋の様子です。この時驚いたのは、東関屋の駅舎が綺麗になっていたことと、接続するバスのターミナルが併設されていたことです。もっとも、軌道線廃止前であっても、終点から先はバスに乗り換える必要があったので、東関屋にバスターミナルができたのは当然かも知れませんが、白山前に比べて東関屋はバスの運行系統が少ないので列車に接続するバスを新たに開設していました。
2.モハ2229+モハ2230 (東関屋:1993年4月)
そして、車庫は検修庫が新しくなったのか?と思ったら、これは外壁を張り替えただけで中身は全く変わっていませんでした。
3.キ116 (東関屋:1993年4月)
気になる車両の動向ですが、この時車庫にいたのは、元小田急だったモハ2220形、クハ47+モハ11、そして除雪コンビのモワ51、キ116だけでした。その他の車両は全て営業中とは思えず、少々心配になりました。
4.モワ51 (東関屋:1993年4月)
モワ51が日向に出ていました。新潟交通生え抜きの車両はこのモワ51だけです。いつまでも残って欲しい存在です。
5.モワ51 (東関屋:1993年4月)
モワ51は除雪という名目で残されてきましたが、路線が短くなったとは言え、除雪は必要なので、この路線がある限り安泰のはずです。実際、塗装も綺麗に塗り直されており、余裕のいでたちです。
6.クハ47+モハ11 (東関屋:1993年4月)
車庫脇の側線には、クハ47+モハ11が留置されていました。軌道区間の廃止と併せて、朝の3連運用もなくなったそうで、クハは余剰車が発生しているはずです。とりあえず、クハ47は健在でした。
7.モハ21 (東関屋:1993年4月)
車庫で撮影していると電車が到着しました。折返しの木場行きです。新潟近郊も木場あたりまでは人口が増えているようですが、新潟駅や古町の繁華街へ直通するバスも走っており、わざわざ電車とバスを乗り換える人はどのくらいいるのか?それにしても、燕行きの電車本数がかなり少なくなっていました。