ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第962話 1994年新潟交通:路線短縮後の東関屋

先日の第956話~第957話では、廃止が決まった1994年の越後交通長岡線の貨物列車の様子をお伝えしましたが、その日、朝の貨物列車を撮影して、夕方の貨物列車の撮影までの間に、新潟交通の東関屋へ出向きました。時間に余裕がなかったので、東関屋の構内撮影のみとなりましたが、路線短縮後初の訪問でした。

 

1.モハ18、モワ51 (東関屋:1994年10月)

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東関屋に辿り着いたのは、もう昼前でした。さっさと撮影して、とっとと戻らねばなりません。出発を待つモハ18の行き先は、もう燕ではなく月潟です。

 

2.モハ18 (東関屋:1994年10月)

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久々の東関屋は、起点駅として機能していましたが、相変わらず不便でした。しかし、このころの新潟交通は、まだやる気十分だったのか、東関屋の駅舎は小綺麗に生まれ変わっていました。

 

3.モワ51 (東関屋:1994年10月)

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駅舎は綺麗ですが、車両はいつもの通り!。モワ51は塗装を塗り替えて元気そうでした。

 

4.クハ46 (東関屋:1994年10月)

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さて、この日の訪問目的は、路線短縮で生き残った車両の状況確認でした。路線短縮により、かなりのクハが淘汰されましたが、クハ46だけが生き残りました。路線短縮後も2連運用はありましたが、ほとんどがモハの2連となり、クハ46の出番はあったのか?

 

5.モハ2229+モハ2230 (東関屋:1994年10月)

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小田急デハ2220形の2連も健在でしたが、モハ2229の顔が、この年の全般検査時に非貫通化されました。

 

6.モハ2230+モハ2229 (東関屋:1994年10月)

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モハ2230の方は、従来通りの小田急顔でしたが、なぜ、モハ2229だけ非貫通化されたのか、モハ2229はよほど隙間風や雨漏りが酷かったのか?。ところで、リニューアルされた東関屋ですが、検修場も白い外壁となり建て替えたのかと思ったら、外壁のみ張り替えただけで、中身はそのままでした。建物の一部だった、旧モハの廃車体もそのままです。やはり、やる気は表向きだけだったのか?

 

7.モハ14 (東関屋:1994年10月)

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モハは、路線短縮時に廃車されたモハ16以外は健在でした。この当時の在籍車両は下記の通りです。

・モハ11,12,14,18,19,21,24,25

・モハ2229+モハ2230

・クハ46  ・モワ51  ・キ116

 

8.モハ25+モハ24 (東関屋:1994年10月)

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一通り撮影を済ませたら、もう長岡に戻らなければなりません。戻りは長岡行きの高速バスです。ここから市役所前へ向かいます。この続きは別途お伝えします。