ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第459話 1988年新潟交通:盛夏の越後平野

1988年4月まで、私は仕事の関係で新潟に居ました。その頃は毎週のように新潟交通の電車を撮影していましたが、東京に戻ってからも新潟へ行く機会が多かったので、時々休日を利用して新潟交通の電車を撮りに行きました。

今回は、1988年8月の盛夏の越後平野の様子です。

 

1.モハ12 (灰方~燕:1988年8月)

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 この日は日曜日だったので、朝の3連は走りません。日曜日の燕発着の列車は終日単行だったので、旧型のクハも走らず、趣味的には面白くありませんが、夏の稲穂がたなびく越後平野は被写体には申し分なく、それなりの撮影ができました。

 

2.モハ25 (灰方~燕:1988年8月)

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 ちょうど半年前、この辺りは雪原でした。用水路に転落して遭難しそうになった場所ですが、季節が変わると別世界です。

この日は朝から晴天でしたが、それほど暑くもなく、日中も爽やかだった記憶があります。

 

3.モハ25 (灰方~燕:1988年8月)

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 天気が良いと、思わず連写してしまいます。季節を変えて撮ると四季の趣きを感じますが、同じような写真がどんどん増えていきます。

 

4.モハ12 (灰方~燕:1988年8月)

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稲穂のグラデーションがいい感じです。

本当はこの区間で 、季節を変えて3連を撮影したかったのですが、3連は平日の朝しか走らず、新潟に住んでいないとなかなか難しいです。

 

5.モハ12 (灰方~燕:1988年8月)

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この頃の新潟交通は、まだ列車本数も多く、廃止など考えられませんでした。

この1988年4月時点の時刻表では、燕~六分間は日中の区間運転が一部復活して、列車本数が事実増えました。列車を増やせば利用客も増えるだろうという発想のようです。しかしながら実態は赤字で、こののどかな路線はやはりガラガラです。単行にもかかわらず、どの電車も空気を運んでいる感じでした。

 

6.モハ12 (灰方~燕:1988年8月)

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この頃の地方鉄道を見ると、そろそろ老朽化した車両や設備の更新のため、大手私鉄から中古車を導入して、新装開店する動きがあちらこちらで見られました。新潟交通の場合、DC1500Vであり、カルダン車のデハ2330形導入実績もあるので、そろそろ何かが起きるのではないかと思っていました。

 

7.モハ14 (燕~灰方:1988年8月)

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 ところが、この翌年には白山前~東関屋間と月潟~燕間の廃止が表明されました。白山前~東関屋間は軌道区間であり、沿線住民も廃止に反対することもなく1992年に廃止となりますが、月潟~燕間は廃止反対により1993年7月末日まで廃止が延びました。