ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第820話 1993年新潟交通:最後の燕

1993年は仕事の関係もあり、関西方面へ出向く機会が多く、反面その他の地域は疎遠になっていました。ところが、新潟交通の燕~月潟間が7月末日限りで部分廃止されることになり、その最終日に燕に向かいました。

 

1.モハ19 (灰方~燕:1993年7月)

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 新潟交通と言えば、当ブログの第1話でお伝えした通り、燕付近の広大な越後平野に魅せられて、1987年~1988年頃に掛けて通い詰め、朝の3連を撮影するため猛吹雪で遭難しそうになったこともあり、私にとって語りつくせない、多くの思い出があります。しかし、1992年3月の軌道線(東関屋~白山前間)の廃止に続き、バブル崩壊と同時に、燕~月潟間11.9kmが無情にも廃止となりました。

 

2.モハ19 (燕~灰方:1993年7月)

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  この日は、大宮から始発の新幹線に乗り、燕三条経由で燕に到着ました。ところがドシャ降りの雨です。よって、いつもの灰方へ奮発してタクシーで向かいました。せっかくの最終日ですが、残念ながら弥彦山も見えません。

 

3.モハ19 (灰方~燕:1993年7月)

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 この日は廃止と言っても、他にこれと言ったイベントもなく、列車は普段通りのダイヤで坦々と走っていました。部分廃止のためか、電車には特に廃止を記念する装飾もなく、まったく普段と変わりません。あえて言えば、いつもより乗客が多いことくらいです。

 

4.灰方駅舎 (灰方:1993年7月)

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 何かとお世話になった灰方駅です。木造の駅舎は健在でした。駅舎には廃止を示す装飾が・・・なにやら、代替バスが運行されるそうですが、どんなルートを走るのか?ちなみに現在は代替バスもなくなった様です。

 

5.灰方駅構内 (灰方:1993年7月)

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灰方駅は交換設備があり、かつては貨物側線もあった駅でした。立派な倉庫も隣接しており、この集落の拠点だった様です。この日は最終日ですが天気が悪いせいか閑散としていました。

 

6.モハ19 (新飯田~小中川:1993年7月)

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ここは、小中川付近です。写真の後方には、上越新幹線の高架がオーバーパスしています。新潟出張の際、新幹線でここを通るたびに、車窓から新潟交通の線路を眺めたものです。廃止後、線路は撤去されましたが、今でも新幹線の車窓から廃線跡が確認できます。 

 

7.燕~月潟間廃止記念乗車券

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廃止記念乗車券を買いました。2種類ですがセットではなくバラ売りでした。シリアルナンバーを見ると安い方だけ買った人が多い様です。

さて、この後は雨の中、撮影しながら月潟方面へ歩きます。