ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第458話 1989年JR(鶴見):工場地帯のチャバネゴキブリ(その4)

鶴見線は撮影場所がほとんどありませんが、相対式ホームの国道駅では比較的撮影がしやすかったです。

 

1.クモハ12052 (国道~鶴見小野:1989年4月)

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 国道駅鶴見小野寄りには、鶴見川を渡る橋梁があり、かつては鶴見線の旧国が撮影できる場所でしたが、この橋梁に側壁が追加施工されてしまい、橋の外から撮影ができなくなりました。よって、現在この場所で撮影するには、ご覧の様に国道駅のホームから正面がちな写真しか撮れません。

 

2.クモハ12052 (国道:1989年4月)

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 この写真も国道駅です。国道駅はカーブしているので、こんな写真が撮れました。クモハ12形は元々片運車だったモハ11形を両運化して出来た車両です。このため、2両いたクモハ12形は共に鶴見寄りの妻面はオリジナルの非貫通3枚窓ですが、反対の妻面は連妻を改造した貫通扉付きでした。しかも、貫通扉は元からあったものを流用したため、引き戸でした。貫通側は雨樋のアーチがなく、幌枠が付き窓も小さいので独特の武骨な表情をしていました。

ところで、この国道駅ですが、当時はまだガード下の飲み屋街が盛業中で賑やかでした。現在は飲み屋街もなくなってしまい、非常に殺伐とした廃墟のような無人駅になってしまいました。しかし、鶴見線の前身である、鶴見臨港鉄道の貴重な遺構であり、必見です。

 

3.101系3連 (浅野:1989年4月)

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 土日の日中はクモハ12形の単行が走る海芝浦支線でしたが、夕方になると東芝に勤める方々の帰宅に合わせて101系が入線しました。水色の行き先表示が海芝浦行きの目印でした。

 

4.クモハ12052 (浅野~安善:1989年4月)

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 撮影場所を探しているうちに運河の舟溜まりの桟橋が目に留まり、そこから撮った写真です。線路との境界に金網が張られていましたが、なんとか様になりました。現在、運河沿いの空き地は立ち入り禁止になっていると思いますので、むやみに立ち入らないで下さい。

 

5.クモハ12052 (浅野~安善:1989年4月)

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 さて、ここでクモハ12形(注1)の車歴について少々。

クモハ12形は元々は鉄道省時代の通勤電車である31系電車のモハ31形です。モハ31形は、モハ30形、33形、50形などと共にモハ11形に統合されましたが、この内、モハ31形を前身とする車両はモハ11形200番代となり、さらに両運化された車両がモハ12形となりました。

当初、モハ12形は宇部・小野田・可部線の単行用として、9両改造されましたが、その後鶴見線用に6両が追加改造され、これがクモハ12形50番代となり、52と53の2両だけがJRになってからも鶴見線に残りました。

 

6.クモハ12052 (浅野~新芝浦:1989年4月)

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 (注1)鶴見線クモハ12形50番代の車歴

JR東日本クモハ12052←国鉄クモハ12052←国鉄モハ12052←国鉄モハ11210←国鉄モハ31018:1929年川崎車輌

JR東日本クモハ12053←国鉄クモハ12053←国鉄モハ12053←国鉄モハ11256←国鉄モハ31088:1931年川崎車輌

 

鶴見線クモハ12形は1996年頃まで運用されました。ちょうど私は仕事の関係で、1989年~1992年頃まで横浜に住むことになり、この後も時々鶴見線を訪れてチャバネゴキブリを追い掛けました。