ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第345話 1988年新潟交通:もうすぐ春ですが・・・

太平洋側で育った私にとって、新潟の冬は臥薪嘗胆でした。

しかし、春は必ずやって来ます。1988年3月、ようやく春の気配を感じた私は、冬眠から覚めたかの如く燕を目指しました。

 

1.モハ19 (小中川~新飯田:1988年3月)

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 つい1ヵ月程前、このあたりで地吹雪に遭い遭難しそうになりましたが、もうすっかり雪は解けていました。

 

2.モハ19 (小中川~新飯田:1988年3月)

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 いつもは弥彦山側の撮影ばかりですが、振り向くとこんな光景が展開していました。遠く越後の山並みにはまだ残雪が見えていました。

 

3.モハ24 (六分:1988年3月)

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 六分駅では、この駅始発のモハ24が発車待ちをしていました。ホームにある桜の大木にはまだつぼみもありませんが、"もうすぐ春”です。

 

4.モワ51 (東関屋:1988年3月)

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 除雪車として東関屋に待機していたモワ51もそろそろお役解除です。

 

5.クハ50+モワ51 (東関屋:1988年3月)

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 つい先週まで雪に埋もれていた東関屋の構内も、すっかり雪は解けて春めいていました。クハ50はモワ51につながれて入換中なのか?

 

6.クハ37 (東関屋:1988年3月)

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 昨年からこの場所で越冬していたクハ37は、まだ廃車ではありません。しかし、営業線に復帰することなく、1989年12月にクハ36と共に廃車となりました。