ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第346話 1988年新潟交通:もうすぐ春ですが・・・(その2)

新潟の冬はしばらく悪天候がつづきましたが、ようやく晴れた1988年3月の穏やかな日曜日に、新潟交通の沿線をブラブラ歩きながら撮影しました。

今回は白根から燕方面の様子です。

 

1.モハ25 (白根:1988年3月)

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 白根駅を出発した新潟方面行のモハ25です。この辺りは土手と住宅街に挟まれた区間を走るので撮影が難しい場所です。

 

2.モハ18 (曲:1988年3月)

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白根から燕方面は列車本数が半減します。よって、歩き始めるとどんどん進んでしまい、撮影しないまま月潟あたりまで行ってしまうので、適当に時間調整して歩かなければなりません。

曲(まがり)駅は果物畑の中にある小さな無人駅でした。変わった駅名ですが、下曲通という地名からとった駅名の様です。駅のまわりは何もありませんが、駅のすぐそばには、写真の様にレトロな火の見櫓が建っており、ジオラマを見ているような光景です。

 

3.モハ18 (月潟~曲:1988年3月)

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 曲付近は土手から離れて、果物畑の中を走ります。この時期はこんな感じで撮影ができましたが、夏場は果物の樹々が緑に覆われて列車が隠れてしまい、意外と撮影し辛い場所です。

 

4.モハ24 (六分:1988年3月)

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ゆっくり歩いたつもりでしたが、気が付いたら月潟を通り越して六分まで来てしまいました。

六分駅では、区間運用のモハ24がお客待ちをしていました。時代はまだ昭和です。六分駅はローカルムード溢れる昭和チックな駅でした。

 

5.モハ24 (六分:1988年3月)

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なにげなく撮ったワンカットですが、車体広告の無いモハ24は絵になります。
しかし、せっかくの六分始発ですが、お客さんはゼロでした。

 

6.モハ21 (新飯田~六分:1988年3月)

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 新飯田~六分間は、この写真のように軌道が土手と同じレベルまで上がる場所がありました。この写真の右側は中ノ口川の河川敷ですが、果樹園になっていました。未舗装のそろばん道路が懐かしさを感じます。