琴平線への元京急1000系導入は、1988年には12両(6編成)に達します。
この年のGWに訪問した際には、元京急1000系導入で玉突き廃車となる1020形の一部が早くも編成を解かれて仏生山の留置線に安置されていました。
1.1036,1035,1034,1033の安置 (仏生山:1993年4月)
犠牲となったのは、1033+1034と1035+1036でした。この2編成の廃車は、1033+1034が5月14日付、1035+1036が8月8日付でした。
2.1034 (仏生山:1993年4月)
この1034はあと2週間後には正式に廃車されて解体となります。
3.81他 (今橋:1993年4月)
仏生山での撮影を終えて次は今橋車庫に向かいました。
志度線、長尾線の車両は変化もなく、天気が良ければ走行写真を撮りたいところですが、雨は止まず気合が入りません。今橋車庫も狭く、留置車両はギュウギュウ詰めなのでまともに写真が撮れませんが、運よく元南武の旧国だった81が先頭に出ていました。
4.300他 (今橋:1993年4月)
長老のトップナンバーである300がいました。そのお隣は元東濃から来た72、後位にいるのは元近鉄の20形、その後ろが元宮城の67です。この頃の今橋車庫はお宝だらけの宝庫でしたが、なにぶんこの状況では撮影になりません。
こういう古い車両を見ていると本線が気になります。 1本くらいは古い車両が走っているかも知れません。
5.850+65 (平木:1993年4月)
結局、雨にもかかわらず、長尾線の平木まで来てしまいました。
天気が悪かったので、落ち着いて形式写真をとるため相対ホームの平木で撮影です。この日は元南部鉄道出身の買収国電だった850が65とコンビを組んで運用されていました。
6.28+27(平木:1993年4月)
平木は折返し列車もあり、ここに居れば色んな列車が落ち着いて撮影できます。しかし、日中は大半が30形なので面白くありません。
7.27+28 (平木:1993年4月)
面白くありませんが、とりあえず撮影です。ところでこの30形ですが、京急のオリジナルは非貫通です。琴電移籍時に最初の3編成は非貫通で導入されましたが、第4~7編成が貫通化されました。やはり非貫通に越したことはありませんが、じっくり見ると貫通タイプも結構均整のとれたデザインです。